持で胸がいつぱいであつた。
次に、北京で一番不思議に感じたことは、この一見平和な都が、幾度も動乱の中心になつたといふことである。
いくぶん事変色を呈してゐるのは、北京飯店といふホテルの内部だけで、街へ出てみると、住民は何事もないやうな平静な顔をして、ゆつたりとアカシヤの並木の下を歩いてゐる。
市場は賑ひ、劇場は満員である。
戦敗国の悲しみも焦慮も、往き合ふ人々の表情からは読むことができない。
北京人は、それほど「戦争」に馴れ、勝敗に超然とし、自己の生活と国家の運命とを切り離して考へ得るのであらうか?
この疑問に、「然り」と答へるものもあり、「否、君は表面だけしか見てゐない」と答へるものもあつた。
ともかくも、北京は、美しい都である。古都といふ名の、これほどよく似合ふ都は、世界に二つとはあるまい。
そして、それを誰よりも誇りにしてゐるのは北京人なのである。彼等は、北京を愛し、豊かな伝統を守り、この伝統の力強い生命を信じてゐるかのやうである。それゆえ、彼等は、外敵を恐れない。武力の優越は百年の覇を称へるであらうが、文化の根は、千年の実を結ぶと空嘯くのである。三年や十年敗け続けることは、決して敗けたことにはならぬといふ考へ方が北京人に限らず、支那式の考へ方であるらしい。
この自尊心は、ちよつと日本人には歯が立たぬと思はれる。従つて、現に敗け戦さを続けながら、支那人の一人一人は、少くとも、支那人としての自覚をもつた人間は、自分らを戦敗国民だなどとは夢にも思つてゐないかも知れぬ。逃げても勝つたと吹聴するのは、必ずしも、逆宣伝だとばかりは云へないやうな気がするくらゐである。してみると、今度の事変の終末も、彼等は「降参した」といふ言葉は使はずに、子供たちの遊戯のやうにこんな風に合図をするであらう――「もうようしたツと」。
ところで、日本人はどうかといふと、それでは承知すまい。なんでもかんでも、「降参」と云はせるであらう。頭を三度地べたにすりつけろと注文するであらう。
この種の強制は、今日の日本人の癖であり、流儀である。相手がちやんとそれをするまで、「勝つた、勝つた」と、その眼の前で絶叫し、乱舞し、どうかすると、相手の頸筋を押へ、肩を小突き、とうたう、足がらをかけてぶつ倒すのである。
正義日本の名に於て、弱者を辱かしめざらんことを!
中華国民の自尊心は、文
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