やうで、親しみはもてるし、嗤はれてゐながら腹は立たない。憫れみを受けても、自尊心は傷かず、怒られても、笑ひたくなる。あなたは、人にものを云ひかけながら、自分自身にものを云つてゐる。人を嗤ひながら自分自身を嗤つてゐる。人を憫みながら、自分自身を憫んでゐるのだ。
あなたは、左の胸の、何番目と何番目の肋骨の間に、心臓があるとは云はない。こゝに耳をあてろ、この音が心臓だと云ふ。心臓を掴み出して、これが情熱だと云ふ。
人生の二重相を看破した最初の詩人はあなただとは云はない。あなたは、現実の世界と夢の世界とを、更に、真の世界と偽りの世界とに区別した。そして、その二つの世界が、人間の魂の二つの姿であることを指摘した。心の底に潜む心を捉へ、感覚の裏に眠る感覚を呼び覚した。聡明なペシミストとしての人生観がそこから生れた。
或る批評家が云つたやうに、あなたは始め辛辣なユモリストとして人生を戯画化した。しかし、あなたの本性が更にあなたの仏蘭西人としての特質が、そしてあなたの生活の体験が、あなたの人生観を禁慾主義的な微笑で包むやうになつた。それと同時に、あなたの嫌ひな「人間」が、あなたのうちの「人間」と共に、救ひ難きまでも憐むべきものであることを知つた。その憐みは、寛大な愛の萌しにはならなかつたが、少くともあなたを単なる憎しみの心から救つたに違ひない。「自分も人間でありながら、その人間がわたしを人間嫌ひにする」さう云ふあなたの言葉に偽りのあらう筈はない。しかし、そこには、「人間が嫌ひ」であることを誇る気持は毛頭含まれてゐない。寧ろ「人間が嫌ひ」であることを悲しむ、その甘苦い涙こそ、あなたの有つてゐる詩なのだ。「裏面の詩」なのだ。その詩こそ、あなたの芸術を浪漫的ユモリスムから引き離して、切々藹々たる人間味の中に浸し、古典的自然主義芸術の伝統に結びつけたのだ。
「わたしは自然によらなければ書かない。わたしは生きた尨《むく》犬の背中でペンを拭ふ」とあなたは言つた。あなたはあなたの想像力に信頼しない。此の点で立派に浪漫派と絶縁してゐる。あなたは一々の事物について、その特質を捉へなければ満足しない。此の点で所謂古典主義の拘束を受けてゐない。あなたは言はなければならないことを言ふために、言ひたいことでも言はないことがある。まして言つても言はなくてもいゝやうなことは決して言はない。此の点で所謂写実
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