再び世人の心に浮び上つて来るのはかういふ時代である。
 今まで流行の輸入に忙しかつた日本の新劇界が「問屋種切れ」の暁に、何事かを教へられるとすればそれは、必ずしも損にはなるまい。
 折も折、世界戯曲全集と、近代劇全集とが読者の机上に積まれつつある。そこには、所謂「流行品」は少いであらう。然しながら、「永遠なるもの」が数限りなく集められてある筈である。
 諸君は、例へばポルト・リシュ、クウルトリイヌの作品を読む前にその作品の発表せられた時代を見るがいゝ。遡つて、ミュッセの戯曲を読み、何故に此の戯曲が、もつと早く日本に紹介されなかつたかと考へて見るがいゝ。ブリュウやデュマが早く伝へられて、ベックや、キュレルが遅く伝へられたことを不思議とは思はないか。自由劇場の創立者、アントワアヌの最も意義ある仕事は、彼が、遂に「新しいものは出で尽した」と叫んでから後である。
 わが新劇界も「新しいものが出で尽して」これから、ほんとうに意義のある仕事が迎へられ、完成されるのかもわからない。



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「新選岸田國士集」改造社
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