の如きも、わざわざ西洋人らしくする努力を省き、それよりも、活きた人間の神経を全身に通はせることを忘れなければよろしい。
かくして生れた舞台は、或は、西洋臭くないかもしれぬが、一層演劇的であり、皮相な異国趣味を求めるものには飽き足らぬかもしれぬが、ほんたうの趣味を解するものには、初めて、迎へられるであらう。
ところで、それならいつそ、翻案にしたらよいではないかといふ意見も出るであらう。私は、ある場合、殊に、外国の風俗習慣になじまぬ一般観衆のためには、その方がよいと思ふ。しかし、演劇に限らず、物語の興味は、ある程度まで、雰囲気の面白さ、生活事情の面白さを含んでゐる。さういふものを生かすためには、やはり、翻案では不十分である。
また、戯曲そのものの性質からいつても、翻案の方がよい場合もあり、翻訳に止めた方がよい場合もある。
今月の築地座は、その意味で、二つの好ましい例を示した、二つとも、方向を誤らない新劇の見本として、出来栄の如何に拘はらず、私は、大へん満足したことを特筆せねばならぬ。これがこの劇団の仕事として、最も意義あるものの一つになり得たことは、決して偶然ではないので、結局は、
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング