の手で作り上げる正しい方向を発見することが、今日の文学者に課せられた一面の仕事であると思ふ。

 この運動に参加する文学者たちのそれぞれ聴衆に愬へようとする課題はまちまちであらうけれども、単なる個人的意見を通じて、一人の人間の特異な所在を知らしめることはさほど重要ではないと思ふ。
 国民は今、祖国の直面する運命をひたすら凝視し、自己のおかれた場所に応じて、十分の義務を果し、且つ、その義務に反せざる限り、安全に身を護らうとしてゐるのである。この心理は自然である。それゆゑ、義務がこれを命ずれば献身もいと易いといふのが、われわれ日本人の常態である。
 しかしながら、義務を義務と感ぜしめるものは、国民全体の高貴な精神の昂揚にあることはもちろんで、この点、わが国の為政者は、もつと時代の表現を身につけた一種の詩人であつてもらひたいと私はかねがね思つてゐるのである。
 文学者は幸ひにして、時代の言葉をもつて自己の信念と理想とを語る術を心得てゐる。国民はその言葉を、自分みづからの言葉として聴くであらう。そこには自己陶酔による徒らな鼓舞や激励や叱咤はない代り、政府の代弁者たちのもたぬ反省もあり、自責もあり、苦さにみちた述懐がある。しかもそれはもはや決して、消極的傍観的な態度ではあり得ないところに、今度のわれわれの行動の出発があるのであつて、黙々として国民の歩む道が、所詮平坦でないにしても、すべての努力を傾けることによつて、やがては光明に達するであらうことを互に固く信じ合はうとする祈念の衷はれなのである。
 われわれ一行のスケヂユールは文字通り強行軍であつたが、私が病後のからだを多少労はつた以外、他の諸氏はよく頑張つた。そして、いづれも、こんないゝ聴衆はいままでにないといつて褒め、かつ、悦んでゐる。なにかしら手応へがあつた証拠である。
 私はこの運動の意義と効果について、一層これを徹底させる上から、是非、講演の反響を知り、聴衆諸君の自発的協力を望みたいと思ふ。
 次回のプログラムは、さういふ目的が達せられるやう、若干の考慮を払はれんことを計画者側に希望する。



底本:「岸田國士全集24」岩波書店
   1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「東京日日新聞」
   1940(昭和15)年5月22、23日
初出:「東京日日新聞」
   1940(昭和15)年5月22、23日

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