ヒューレと云ふ人は、「既に我が国語は他の総ての言葉に比して十分完成してゐるのであるから、こゝで一種の注意をエロキユーシヨンの上に払つたならば、恐らくラテン語がギリシヤ語を継いだ如く、我がフランス語はラテン語に継いで世界標準語となり得るだらう」と云ふことを述べてをります。しかし恐らく、これは当時既に国力に自信をもつてゐたフランス人の誇張された宣言だと思ひますけれども、それはやがて或る部分実現される結果になるのであります。そのアカデミーで編纂した辞典は、フランス語の標準になる言葉、現在日本で使つてゐる標準語と云ふのとは少し意味が違ふかも知れませぬが、標準になる言葉を選択し、正確に意味づけ、限定された用例を挙げてをります。この標準になる言葉とは教養のある人達の間で使はれる言葉と云ふ意味なのであります。このアカデミーの辞典に対して普通の辞典が市場に普及してゐる。この普通の辞典は一般民衆が自然に使つてゐる言葉を網羅するといふところが違つてゐるのです。或はそれ/″\の専門語を集めた辞書もその外にある。さう云ふ辞書に対してアカデミーでは標準になる言葉と云ふものを規定してゐるのであります。その編纂には非常に苦心を払ひましたけれども、やつと十七世紀の終りになつて初版を出し、さうして今日迄八回それが改修されてをります。一九三一年から三四年にかけて現在のアカデミーの会員の手に依つて第八版が出てゐる。それで今日までフランスに於いて標準になる言葉はアカデミーの辞典に依るといふことが先づ常識になつてをります。何かお互の言葉遣ひについて疑問が起ると、結局アカデミーの辞典に解決を求めるといふことが現にフランス人の間で行はれてをります。アカデミーの辞典にさうあるなら、さうして置かうといふ程度にはなつてをります。やはりこのアカデミーの編纂員の一人だつたと思ひますが、ヴォオジユラといふ人は、フランス語についてかういふことを言つてをります。「言葉の主人《あるじ》といふものは唯一人だ。即ちそれは慣例だ」慣例= usage =一般に用ひ慣れた言葉を標準にする以外に言葉を純化する有効な手段はない。従つて誰かが作り出し、誰かが決めた言葉を一般に使はせようとすることは絶対に無理なことだ。さういふはつきりした標準を持つてゐたやうであります。それともう一つは、アカデミーのこの規格は完全に宮廷の中で守られてゐた。従つてア
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