れを四角に拵へて、濃い餡のなかに突込んで、それを引上げて晒すと、その餡が冷えてくつつくのですから、いはゞ羊羹のメツキなんです。
色といひ形といひ、いかにも羊羹を切つたやうに見せかけてあります。中は勿論羊羹の味はしない。この形が一見をかしいと同様に食べてうまくありません。それで、このお菓子の文化性といふものを考へてみました。このお菓子が何かしら日本の現代文化といふものを、それとなく現してゐるやうに考へたのです。といふのは、このお菓子が、偶々羊羹に見せかけてある、さうして買ふ人の購買心を唆るといふ、余りほめることのできない心理がそのお菓子のなかから感じ取られます。
先づ第一に、見た目に美しくないので芸術性を欠いだお菓子です。それから菓子屋がそれを作る場合、羊羹に見せかけようといふ気持で作つたことが、はつきりとわかるお菓子であります。これは、さういふ意味で非常に倫理性(道徳性)の低いお菓子であります。それだけの材料を使へば、もつと味もよく、また洗煉されたお菓子が出来さうに思へるのですが、非常に粗雑なのです。それで、これは少しこじつけになりますが、もう少し工夫をすれば、立派なお菓子が出来るだらうといふので科学性がない。即ちどう見ても文化性の水準の低いものと考へられます。
かういふ風に、いろいろとその現象を見てまゐりまして、それらの文化的価値、或は文化性といふものを判断する場合に、この大体三つの要素が離れ離れにあるのでなく、それらのものを分析しますと、これら三つの要素に分れるものが内容になつてゐるやうに私は説明を致したいのです。文化といふ言葉自体の説明としては、非常に一面的でありますけれども、学問的にでなく、軽く常識的に考へて、今のいろいろの生活現象といふものを批判し、これをまた文化的に高めて行くといふ意味から、また個人個人が良い感覚を養つて行くといふ意味から申しますと、今のやうな考へ方で大体間違ひがないと私は思ひます。
文化の領域とは
文化の問題といふことになりますと、文化といふものは一体どういふ領域であるかといふ、領域の問題がまづ出て来ます。
これも私の考へでは、文化といふものは、大体、人間がその理想を追求するために作り出す生活表現であるといふ定義を、正しい定義だと思つてをります。さういふ意味から、人間といふ言葉を、抽象的に観念的に考へないで、やはり私たち人間といふものは、当然何れかの民族か、或は何れかの国家に属してゐる、従つてこれで人間といふ言葉を限定いたします。国民といひ換へても差支へありません。殊に今日、日本の置かれてゐる立場を考へますと、さうしてまた同時に、今日私たちが生活の心構へとして、日本の運命について考へなければならない大きな問題をもつてをることを考へますと、その生活の表現としての文化といふものも、国民としてその理想を追求するといふ意味から国民がいろいろな形で発揮する力といふものが、土台になつてゐるわけです。
従つて国民の活動面全体にわたつて、その国民の文化的水準といふものが現はれてゐるものです。政治・外交はもとより、軍事も経済も、やはり国民の文化能力といふものゝ発揮に外ならぬと思ひます。(昭和十六年六月)
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
1941(昭和16)年12月20日
初出:「女子青年 第二十四巻第六号」
1941(昭和16)年6月1日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年3月1日作成
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