ラといふ言葉を連想します。例へば西洋式の家具のなかに住み、近代音楽を弄び、古い習慣を捨てゝ、殆ど国際的とも云へる様式の、自由な暮し方をするといふやうな意味で使はれて参りました。
文化の標準と正体
今まで、文化といふ言葉が用ひられる場合は、大抵前述のやうな意味で、文化的であるとか、或はまた文化性があるとかいふ風に使はれて来たと思ひます。これが抑々文化といふことが誤られる第一歩であると思ひます。ところが、一方において日本伝来の文化といふものがある。日本の大昔から伝はつてきた文化といふものは、日本の過去の非常に豊かな優れた文化であるといはれてゐるのでありますから、前に申しましたやうに、文化といふ意味には西洋風であるといふことが一つ含まれてゐると思ふのは誤りであると考へます。さういふ意味の誤りを、こゝでよく考へ直してみますと、結局かういふ結論になるのです。
文化といふものゝ内容は、西洋的であるとか、或は便利であるとか、芸術的であるとか、さういふやうな内容の分け方では面白くないのであつて、もつと分析して考へてみると三つの要素があるのであります。
一つは倫理性(道徳性)、それから科学性、もう一つは趣味性または芸術性と、この三つのものがバラバラにあるのではなく、それが渾然と融け合つて文化といふものを形づくつてゐるので、三つの要素の何れかゞ欠けてゐると、その文化は健全な文化とはいはれません。或はまた、それらの要素には高い低いがあります。同じ倫理性といつても、高い倫理性と、低い倫理性とがあります。たゞ倫理性があるといふだけで、文化の優秀を誇ることはできません。その各々が高い標準にあるといふことが必要であります。この三つの要素の水準といふことを考へると、はじめてこゝに文化といふものゝ標準、正体が掴めるのではないかと思ひます。
文化の水準
二三日前、私の宅で、近所の菓子屋さんから菓子を買つて、お茶の時間に食べたのでありますが、皿に乗つてゐるその菓子を見て、私は思はず噴き出したのです。非常にをかしなお菓子なのです。今までに見たこともありません。
なぜをかしいかといふと、かういふ風に出来てをりました。お菓子の中は白いうづら豆といふのですか――あの豆を煮て、それを潰した餡で、実に砂糖気の少い甘つ気のないものですが、そのなかには確かに芋が混つてゐるのです。そ
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