の当時、旧弊固陋に対する旗印として「文明開化」といふ言葉が流行しました。日本はもともと野蛮国でも未開国でもないのは勿論ですが、なにしろ、西洋文明の長を取り、急速に制度や風俗の改革を行はうといふのでありますから、勢ひ、新しきものはすべてよしとし、旧きものはすべて棄て去らうといふ極端な傾向が生じ、そのためには、西洋風でありさへすれば「文明開化」の商標をはることになつたのです。しかも、模倣は往々不十分な理解のもとに行はれがちであります。従つて、その頃の識者は、西洋文明の阻むべからざるを覚りつゝも、なほかつ同胞の軽薄な西洋崇拝を「文明開化の猿芝居」と嘲笑したくらゐであります。
「文化」といふ哲学上の言葉は、それよりずつと後れて日本では使はれだしたやうであります。こゝでもう一度この言葉の意味をはつきりさせておけば、「文化」とは決して、前に述べた「文明開化」の四字を二字につゞめた言葉ではなく、ドイツなどでは、文化は本来「精神文化」であつて、「物質文明」に対するものであるといふ解釈さへ行はれてゐます。しかし、これは、ドイツのある学者の説であつて、一般には、さうとは限りますまい。フランスなどでは、むしろ、文化といふ言葉の代りに、文明(シヴィリザシヨン)といふ言葉を使つてゐるくらゐであります。
それはさうと「文化」の定義でありますが、これを哲学的に考へると、いろいろむづかしい言ひ方をしなければなりませんが、なるべく平易な言葉を使へば、「人間の一切の精神力の開発と、その調和的な発達」と云つてもよく、また、「人間がその理想を追求するために工夫努力する一切の生活表現」と云つてもよろしいのであります。以上は広い意味の「文化」でありまして、政治も経済も、軍事も外交も、教育も宗教も、その他、日常生活のすべての内容がこれに含まれるのであります。ところで、狭い意味の文化といふことになると、人間の精神力が最も純粋な形で高度に発揮された技術的な「働き」、「営み」を指すのであつて、これは大体、学術、芸術、道徳、及び宗教の四つを内容とし、これが個々に在るのではなく、統一されたかたちで一つの価値を作るところに、文化の本質があるといふ風にみるのであります。
学問的な説明はこれくらゐにして、ごく一般に使はれる言葉として、「文化」の意味をくだいて云へば、「国民としての理想を達成するために、われわれが絶えず伝統の上に、更に豊かに築きあげて行く生活全体の心構へと方法」なのであります。
こゝで云ふ「生活」とは、もちろん、物心両面の生活です。衣食住を物質生活の面とすれば、知情意の働きが精神生活の面です。考へ、学び、信じ、愛し、戦ひ、苦しみ、敬ひ、美を感じ、これら「心の生活」、これは抑も人間の最も人間らしい姿の現れですが、こゝにまた人間の最も貴重な力がひそんでゐるのであります。科学も芸術も道徳も宗教も、この「心の生活」を豊かにし、力づけ、磨き清めるためのものであり、また、逆に云へば、豊かな、力強い、清澄な精神生活から、深い学問も、すぐれた芸術も、高い道徳も、あらたかな宗教も生れて来るのです。
更にまた、この「心の生活」こそ、「物質生活」の原動力となり、これに秩序と品位とを与へるものであります。なぜなら、仮りに食事を例にとつてみても、人間はたゞ与へられたものをむしやむしや食べるだけではない。そこには栄養を基準にした材料の選択並びに調理といふ頭の働きと「技術」が必要であつて、それはもう精神活動の領域であります。その上、十分の咀嚼とか、「腹八分」でやめておくといふやうな習慣もつけなければならず、次に、食膳に向ふ時の礼儀作法、そのうちには、満足に食を与へられるものの感謝が籠められてゐる筈です。
かう考へて来ると、食生活といふ問題だけでも、それは精神生活と別々に行はれるものとは決して云ひ難いのであります。
諸外国を旅行して、いろんな人間のいろんな食事のしかたを見れば、もうそれだけで、その国の「文化」の一面を判断することができると云つても過言ではありません。料理のうまいまづいは先づ別として、また、貧富の程度による皿数の多少も問題外とします。たゞ、食事に対する観念、食器の種類、献立の巧拙、飲み食ひする一座の雰囲気などで、その人々の文化的水準乃至特徴といふものが如何に露はに示されるか、これは私自身、屡々経験したところであります。
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こゝで「精神と技術」の問題に触れておきます。「精神」といふ言葉は、古来甚だ多く用ひられてゐますけれども、それがたゞ漠然と「こゝろ」といふ意味に使はれてゐる場合もありますし、また、可なりしばしば、「道徳」とか「意志」とか「頭脳」とか「思想」とかいふ限られた意味に使はれてゐる場合があるのです。更に、どうかすると、「気もち」
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