としての大理想があります。国民のすべては、その全人格と全生活とをあげて、この大理想に向つて邁進しなければなりません。そこには、個人々々の生活の理想といふやうなものを遥かに超えた、いはゆる八紘一宇の生活の理想があります。日本の文化は、即ちこの精神に根ざし、この精神を活かし、更にこの精神を大きく伸ばして行く全国民の信念と情熱と叡智とから成り立つのであります。
一方、西洋の近代文化は、「文明」といふ別の名で世界を風靡しました。この「文明」といふ言葉は、意味の上では、「文化」よりもやゝ具体性をもつてゐて、かの野蛮とか未開とかいふ言葉の反対を指すのでありますが、実際は、科学の発達を極度に伴ふものであつた結果、それは、文字通り機械文明と云はるべきものであります。しかも、その「文明」の目標とするところは、概ね個人の幸福を基礎とする社会生活の円滑化にあつたと云へるのでありまして、かゝる理想は、理想そのもののうちに矛盾を含み、結局は、自由競争の名の下に、世界を動乱に導くことになつたのであります。人間の欲望にはきりがないといふことと、表面は便利で楽しさうに思はれる生活も、その裏をのぞくと、見るに忍びないやうな醜い、痛ましい光景がくりひろげられてゐるといふ事実とによつて、人類の進歩はおろか、むしろ、人間が物質の奴隷になつてゐる状態が誰の眼にもはつきりして来たのであります。
もともと、「文明」とはさういふものではない筈です。文明国と云へば少くとも進歩した国家としてのあらゆる条件を具へ、その道徳も法律も風習も高い人間的価値を標準として世界に通じるものをもつてゐる国でなければなりません。真の文明は、いはゞ、「文化」の技術的なあらはれとも云へるのでありますが、今申すとほり、西洋文明の今日までのすがたは、形を整へるに急で、その精神がお留守になつてゐたといふよりほかありません。それといふのも、その精神が確乎たる民族の歴史の上に築かれてゐなかつたからで、徒らに、宙に浮いた、人類の理想とか進歩とかいふお題目に捉はれながら、その実、個人の欲望を満たすことにのみ汲々としてゐた結果であります。
わが国に於ても、明治維新この方、久しい鎖国の方針を改め外国の文物をどしどし取入れることにしたのでありますが、これは畏れ多くも、明治大帝の聖慮により、広く知識を世界に求めようとする朝野の一致せる努力でありました。そ
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