かして復讐したい」傾きのあることである。この点で、日本の新劇俳優諸君は、当分、誰からも軽蔑される心配はない。

 今日、仏蘭西の俳優は、勲章も貰へば、――珍しくもなからうが(なかなかどうして)――元老院議員の晩餐会にも招かれる。――日本だって[#「だって」はママ]何とか公爵が招待したといふんでせう。違ひますよ、それは、招待のしかたが。わかるでせう。――君、もつと飲み給へ。――へえ、もう結構で。――これや、招待ぢやない。

 ルュシヤン・ギイトリイなんていふ役者はなかなか威張つてるやうですね。その辺の流行作家連を小僧扱ひにして、文部大臣なんか屁とも思はず、ブウルジェやアナトオル・フランスの劇作は、殆ど自分が骨組をこしらへてやつたやうなものなのを、それが当つて、表向きの作者が鼻をうごめかしてゐると、それを見て、にやり[#「にやり」に傍点]と笑つて、「おい、サシヤ公(これは伜の名です)てめえ、一体、いくつになるんだい」てなことを嘯いてゐるんですからね。
 仏蘭西といつても、巴里のことしか識らないが、巴里にある劇場といへる劇場五十あまりは、それぞれ若干専属俳優を有し、そのうち、国立劇場四つと、
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