充分と思惟した場合には、劇場主に開演日の延期を要求する権利がある。
勿論、一人だけそんなことを云つても駄目である。
「役者といふものはえたい[#「えたい」に傍点]の知れない「けだもの」だ。奴等は実際手綱をつけて引張つてやる必要がある――その必要があるのに、それに、さうされたがらない。そこなんだ、奴等が荷鞍で自分の背中を擦りむくのは。」
これは、二百五十年前モリエールの発した嘆声である。
仏蘭西の俳優について語るからには、「|芸術と活動《アール・エ・アクション》」社の首脳、ララ夫人を紹介しなければならない。
モンマルトルの高台、ルピック街のさゝやかな建物を、狭い階段を伝つて昇りきると、そこに、「芸術と活動」社のスチュヂオがある。
ララ夫人は、もう六十に近いと思はれる半白の老婦人であるが、その輝く眼にも、引締つた口元にも、豊な頬と頤の線にも、殊に、心持ちわざとらしい笑顔の中にも、人を魅する力――男をとは云はない――を充分にもつてゐる。夫君は富裕な建築師である。夫人は、最近、国立劇場コメディー・フランセエズの幹部たる位置を弊履の如く捨てゝ、因襲と生気なき伝統の束縛を脱し、「止まりて安きを望まんより、進んで躓かん。躓かば勇を鼓して更に起たんのみ」と、自ら「新芸術の肯定と擁護」を標榜して、若き芸術家の群に投じたのである。
――泣いてやしませんよ。
そこで、美術展覧会、演奏会、詩の朗読会、脚本の試験等が度々催される。
筆者は、ララ夫人を主役とするポオル・クロオデルの「正午の分割線」を聴いた。そして感嘆之を久しうした。よかつたですよ。クロオデルは、ほんとうに偉いと思つた。これは失礼、ララ夫人はおそろしい芸術家だと思つた。役者も、かうなると、ほんとうにわれわれの仲間ですね。態度がね、意気がね。
うれしかつた。ほんとうにうれしかつた。――え、僕、泣いてやしませんよ。
ララ夫人は、「真の芸術的演劇は、室内劇である」と云ふ。
おや、こんなことをお話しするのではありませんでしたね。
「コポオさんにお会ひになりたいんですか、ヴィユウ・コロンビエの……。大使か文部大臣の紹介状を持つてゐらつしやい」
これには一寸面喰つた。
コポオは愛国者である。ララ夫人は左傾党である。
そのララ夫人が、亜米利加あたりから流れて来た日本声楽家の「剣の舞」といふものを観て悦んだ。一度、躓いたね。早く起き上つて下さい。
仏蘭西の役者は――仏蘭西人だからでもあるが――如何にも仏蘭西の役者らしい。
何を云つてるんだ。
然し、実際、さうなんだから仕方がない。
底本:「岸田國士全集19」岩波書店
1989(平成元)年12月8日発行
底本の親本:「演劇新潮 第一年第八号」
1924(大正13)年8月1日発行
初出:「演劇新潮 第一年第八号」
1924(大正13)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング