芸術を論じ、杯を傾け、盛んに唄ひ盛んに感激した。その集団の一つに文学者、美術家、音楽家よりなる「影絵の会」があり、彼等はこれを「黒猫座」と命名したのである。
此の黒猫座と雑誌『巴里生活』の合体から生れた一つの芸術上乃至生活上の虚無主義、楽天的虚無主義、これが文学の方面に於て次第に趣味的の洗煉を経、極めて都会的な、通人的な内容と表現様式を生み出し、そこから、戯曲の方では二十世紀初葉より今日まで、兎も角も世俗的勢力を保持しつゝある世相喜劇の、屈託なき、時としては安価な人生観を作り出すのである。
劇作家としてのモオリス・ドネエは『情人』一篇によつて早くもパリジャニスムを代表する作家となつた。彼の才気はその美貌と相俟つて、巴里社交界の人気を一身に集めてゐると云へば足りる。
『プリオラ侯爵』『決闘』等の作者、アンリ・ラヴダンは、ドネエほどのすつきりした才気はないが、一種の「道楽者」を描くに非凡な筆を持つてゐる。たまたま社会問題に触れても、「お芝居」の面白さ以上のものを与へ得ない。
が、此の二作家は、単独に批評される場合には、もう少し褒められてもいゝ作家であらう。
ジャン・リシュパンは、比較的早く世に出で、而も『無頼漢の群』を公にするまで、単なる「韻文劇の継続者」と見做されてゐた。此の代表作を以て、彼は始めて、近代生活の詩的表現に成功したが、そこには、心理的興味も思想的魅力もなく、たゞ、美しき詩句に彩られた絵画的場面があるばかりである。
新浪漫派人情劇の作者として、一時、ブウルジュワ階級の甘美趣味に投じたアンリ・バタイユは『ママン・コリブリ』の一作を以て、当時世論を沸かしつゝあつた自由恋愛の悲劇的顛末を物語らうとした。
彼は前に云つた如く、飽くまでも人情劇作家である。客間の心理解剖家であると同時に寝室の詩人である。ポルト・リシュの鋭利さはないが、その観察には常に「青春の焔」が燃えてゐる。そして「恋の闇路を踏み迷ふ……」と云つた調子の狂乱の場や、「散り失せしこそ哀れなれ」式の愁嘆場を通じて、勿論、これほどまでゝはないが、可なりの通俗味がある。然し面白い。彼は凡庸作家ではない。それどころか、稀に見る劇的才能の所有者である。
彼は、その他『結婚の曲』『裸体の女』『狂へる処女』などを残して早く世を去つた。
「動き」と「力」一点張りの悲劇作者アンリ・ベルンスタインはバタイユ
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