のうちはなんでもないが、だんだん二人の感情が昂じて来る。(私語が起る)
諸君、御心配は御無用であります。決して不穏な言辞は弄しないつもりであります。
若い兵卒は、エリザに向つて、この墓地のなかで、自分の自由になることを求めます。彼女は拒絶します。兵卒は腕づくで目的を達しようとする。彼女は遂にその情人を殺すのであります。第一幕はこれで終ります。第二幕は法廷の場であります。(議長に向ひ)作者の意図を極めて正確に伝へたつもりですが……。
議長――さやう、適当に削除はしてをられますが……。(笑声)
文部大臣――第二幕は殆ど弁護士の弁論を以て、終始してをります。この弁論は、実に見事であります。つまり、先程ミルラン君が述べられた娼婦の運命より説き起して、社会制度の不備を指摘し、エリザの罪はその実、無知と病毒と貧窮の罪であると断じてをるのであります。然しながら、結局、エリザは死刑の宣告を受けるのであります。
第三幕は、別に、この問題と関係がありませんから省略します。
筋は大体右の通りであります。成程これだけでは、何等不都合はないと思はれるでありませう。取扱はれてをる問題は、社会哲学の問題であつて、この問題が論議されることは少しも差支ないと思ひます。然しながら演劇に於いては、事件がいかに公衆の前に現されてをるかといふ問題が、極めて重要なのであります。この点に関し、フウキエ氏が昨日発表された文章中の最も適確な言葉を借用すれば、作者の意図と作品の外観との間に、一つの間隙があるのであります。つまり、眼前に展開された光景の、ある形態、ある細部が、公衆に、嫌悪、不快の印象を与へると認めなければならない場合があるのであります。
デルウレエド君――その場合、嫌悪の情はむしろ道徳的である。
議長――さうとばかりも云へません。
文部大臣――さうとばかりも云へません。さうです、議長の云はれることは至極尤もであります。かういふやうなことは、舞台を見た直後の印象によつて、判断をしなければなりません。若し、公衆に採決の権利を与へたとしたならば、その結果はどうでありませう。この作品を見て笑つてをるものと、さつさと家に帰つて行くものとの間には、投票の結果に自ら大なる差があると思ひます。われわれは、そのどちらかといへば、さつさと家に帰つて行く方なのであります。(拍手起る)
それならば、この戯曲の細部はどうであるか、場面場面の色調はどうであるか。
女どもが登場します。互に名を呼び合ふのでありますが、その名は、「頬張月」「エリザ」「プウレット」、それから「ぶつた斬りのマリイ」
会話が交換されます。そして、話が例の兵士のことに及びます。「さうさ、あたしや好きだよ、あの男……。あの人のためになら、からだをコマ切りにされてもいいよ」エリザがかう云ふと、先程ミルラン君も引用されたとほり、今度はプウレットが、「こいつあ、をかしいや。お前がそんなだつてこた、夢にも知らなかつたね、誰かにのぼせちまうなんてさ……。だつて、今まで、お前のつていふのが一人でもゐたかい……。」(「モウそれでいい」「わかつた、わかつた」「ヨシヨシ」など呼ぶものあり)
議長――文部大臣の演説を最後まで聴かれるやうに……。
文部大臣――この句は後を読まずにおきます。先程ミルラン君が読まれましたから……。然し、ミルラン君は、その後の返答を読まれませんでした。「さうぢやないんだよ……あの人とだつて、ほかの男とだつて、あたしや、一度も……。それがだよ、あの人だけはあたしんとこへ通つて来て欲しくない、さう思ふほど、あの人が好きなんだよ……。あたしんとこなんかへ来ると、あの人が汚れるつていふ気がするの……」するとプウレットが、「ちえツ、およしつたら、くだらない理窟は……。どうせ女ぢやないか、あたしたちは……。それに、人様のお厄介になつてやしないんだからね……。人殺しをした覚えもなけれや、泥棒したことだつてありやしない……。お前の云ふことを聴いてると、まるで、あたしたちは罪人ぢやないか……。ああして、家ん中で働くのがどこが悪いのさ……。世間にいくらだつてゐる、あの亭主持ちの女と、一体どう違ふんだい……」(議場騒然)
かう騒がしくては本文を読み上げることができません。
マイエ伯爵――文部大臣は上演禁止の責任を負はれたらよからう。朗読はそれでやめられたい。(右翼より「然り然り」と叫ぶものあり)
議長――諸君は文部大臣の脚本朗読を聴かれたら如何です。
文部大臣――諸君、本大臣は……責任上、問題の性質を明かにしておく必要を認めます。
フイリポン君――その必要なし。理由は正当と認める。
議長――それでは、真相を糺さずに、事件を解決されるおつもりですか。(私語起る)それでは、少しお覚りがよすぎるでせう。(
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