ろ出来ているようです。しかし、その俳優という言葉のただ定義だけでは、それぞれの俳優がどういうつもりで俳優を志したか、俳優になっているか、俳優という職業に従事しているかということは殆どわからないのです。これは一般に俳優というものの定義を通じてすべてそういう傾向があります。そこで、俳優とはなんぞやという問題をわれわれが考える場合は、俳優というのはこういうものだということを、ただ世間一般が考えているような考え方でなくして、寧ろ俳優の立場から、俳優というその地位に自分がたって、そうして俳優とはなんぞやということを考えなければならない。そこが非常に違うのです。例えば、俳優というのは舞台の上で戯曲のなかにある人物に自ら扮して、そうして演技によって観客にその人物の生活を再現して見せるものである、という定義がここにあるとする。そうすると、その定義はなるほど定義として、先ず大体に於て、俳優というものの性質をいい尽しているようです。しかしそれならば、そういうことのどこが一体面白くて俳優になっているかということは、それでは全然わからない。また、そういうことをすることが、一体どういう目的にそうのであるか、また
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