があったのです。今日からみると、芝居が好きだとか好きでないとか、そこへ行くとか行かないとかいうことは、銘々の個人の趣味といえるのですが、これが常態となったのは極く近代のことで、一つの集団全体が演劇を作り出し、その演劇を楽しみ、その演劇によってその集団の幸福感というものを満足させるということは、また、一人の例外もなく参加することによって行われたということは、非常に重要なこととして考えなければならない。集団生活の幸福感というものが、その行事たるお祭によって象徴されるというのは、つまりそこなのです。
 そもそも芝居というものが元来そういうものであるとすると、その芝居をする本体というのは、俳優であって、俳優はお祭の聖職者なのです。これを別の言葉でいうと、俳優は、すべての人間に代って最も近く神のそばにあり、それと同時に最も近く悪魔の位置にあるものなのである。この、神に最も近づき、また時とすると、自分で悪魔の声を放つということは、これは人間はすべて誰でも例外なく本能として持っている一つの傾向なのです。いい換えると、俳優とはすべての人間が本能的に夢想している一つの行動を身を以て行ってみせ、それが現実
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