事で自分を呼んだのだろう。そうするとその人の最近の消息を考え出して見て、もうじき結婚すると云っていたが、ことによると、相手でも見つかって相談するのじゃないか、その相手はどういう人だろう。あの人はこういう人が好きだと云っていたから、多分こういう人だろう。これが普通云われる想像力で、誰でも所謂想像力が全くないということはありませんけれども、比較的そういう想像をする癖があって、いろいろ想像を逞しくする人がある。想像を逞しくする人、必ずしも想像力の豊かな人ではない。想像を逞しくすることは決して想像力ではない。それが立派にその人の精神的な能力と云えるような想像力は、決してそういう単なる想像ではありません。物事を想像するその仕方の中に一つの確かな拠り所があって、しかもその想像はある現実よりも一層真実であるというような生命力をもっている場合を云うのです。ただああじゃないだろうか、こうじゃないだろうかと、勝手な想像を廻らすような想像は、これはその人の性質とは云えるかも知れませんが、能力とはいえません。同じように頭を働かせながら、その想像が非常にうがっている。少くとも、その想像された世界は、事実そのものを離れて、真実の上に立つ夢の面白ささえあるというような、そういう頭の働きが、ある種の人間には備わっています。この能力が即ち想像力で、俳優の場合にはそれが非常に大事です。
 何故そういう想像力が大事か。俳優は一つの脚本、戯曲のテキストの中にある所の一つの人物を先ず自分の頭の中に描きだします。脚本を読む、その脚本の中にはいろいろな人物がいます。その人物というものは、脚本のなかでは、いつでも或る程度にしか描かれていません。その人物の全部が実に巧に正確に描かれてあると云っても、しかしなお且つ決してそれは全貌そのものではない。全貌を想像し得るように描かれているだけのことです。想像し得るということは、読者の想像力を計算にいれてあるということです。ところが、その戯曲を読む場合に、想像力がない読者――俳優なら俳優の想像力が豊かでない場合は、そういう人物の一人一人を頭に描く時に、その姿というものは、その作品の作者が望み、求めているその全貌ではない。もっと貧弱な姿であるにきまっています。ですから、そういう俳優が自分の頭の中に描いた人物は、それ以上には舞台で演じ得ないわけです。逆に或る脚本の中の人物を、俳優
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