の如く、作家として舞台に冷淡な顔を向けることも、日本に於ては、再考の余地があると思ふ。
 僕たちは「現在の劇場のために」戯曲を書いてゐないことは事実だが、これは、まだまだ「近代劇の行き詰りに悩んでゐる」からではないし、「舞台と戯曲とは別物」だからでもないのである。
 僕は第一に、日本の新劇の現状、歌舞伎新派の運命を考へて、今日まで一人も現はれてはゐないが、いつかは現はれるであらう俳優――西洋にはその例に乏しくないところの――と、その達し得る表現能力を相当に信じてゐる。この表現能力に対して、われわれ作家は勿論、一般演劇に関心をもつもの、又は、もたうとしないもの、何れも、一応吟味を試みるべき時代が来てゐるのである。

 如何なる文化部門に於てもさうだが、今日の日本に生れ、何か一つの仕事をしようと思へば、先づ、このへんのところから始めなければならないのではないか? なかには、もつと先を行く人物もあつていい。若し足許に危険を感じなければ! しかし、誰かが、「もつと以前」に止まり、先へ行つた連中も何れはそこへ一度戻つて来なければならないのである。
 僕は今、日本に於ける演劇の文化的水準といふこと
前へ 次へ
全10ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング