も似合はしいと思つてゐた。
一方、彼のコーヒー惑溺は、いさゝか「通」の領域に踏み込んでゐた。彼は東京では、どこ/\のコーヒーが一寸飲めるといひ、自ら書斎の一隅にコーヒーひきとフイルトレの道具を用意し、「これはこの間フランスから取寄せたコルスレだ」などと、不眠症の客をへき[#「へき」に傍点]易させる奇癖をもつてゐた。ある友人が、試みに、「君は、小石川のどこそこに、近頃出来たカフエー・ド・レトワルつていふのを知つてるか。コーヒーはとても自慢ださうだ」といへば、彼はすかさず、「うん、あれや、大したもんぢやない。第一あんな熱いのを、そのままだすつていふ法はない」とこきおろした。ところがそんなカフエーは、その友人も聞いたことがなかつたのである。
しかしながら、彼田巻安里は、決してコーヒーばかりを好んではゐなかつた。彼はまた、文学を愛してゐた。彼は、泰西の近代文学史に通じ、現代日本の文壇を軽べつし、しかも軽べつしつゝ、その文壇の情勢に明るく、月々の雑誌に発表される数多くの作品を読み、二三、大家の門をたゝき、若干の新進作家と交遊関係を結び、もちろん、自らも小説と戯曲を書き、同志を語らつてパンフレツトを刊行し、原稿用紙に姓名を刷り込ませ、文学故に親戚と義絶するに至つたと心得、「牛肉が硬い」といふ時、「人生は憂うつ[#「うつ」に傍点]なり」の表情を浮べるのである。
二
たゞ、彼は、文学者であることを鼻にかけるほど文学のわからない男ではない。まして、名利を目的に文筆の道を志すほど徹底的現実主義者でもない。彼は、心底から文学を愛し、「文学のために死ねば本望だ」と考へ、文学とコーヒー以外に快楽の街を求めようとしない男である。それ故、彼の生活は豊かでなく、それをまた苦にもせず、ひけらかしもしない。その点、友人たちは挙つて感歎の声を漏らしてゐる。
この田巻安里は、好んでいはゆる「私小説」を書くのであるが、それも、かの既に今日では流行おくれと称せられる「心境小説」の型に属するものではなく、熱烈な意気と、奔放な筆致とをもつて、一つの理想主義的内容を盛ることに努力してゐる。
そこで、友人の一人は、独特の懐疑的微笑を浮べて彼に問ふのである。
――おい、田巻、君は、君の主義のために文学を棄てなければならない時、一体、どうするんだ?
――主義のために文学を棄てる? そんなこ
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