、経済的にも、その必要がなかつたからとも云へるのでありまして、ひと度、それが国家の自衛及び発展上欠くべからざる要件だといふことになれば、たちまち、僅か数十年間に、それらの点にかけて優越を誇つてゐた国々と殆ど肩を並べるまでになつたのみならず、ある点では、遥かにこれを凌駕したのであります。
 それはいつたいどういふわけかと云へば、いはゆる「文化」の標準を、もつと別なところにおいて、即ち、複雑な組織を作る代りになるべく単純な道筋で用を足し、合理化に努めるよりも寧ろ道義化に意を用ひ、分析分化に浮身を窶さずして綜合と直観の力によつて事を弁ずるといふ流儀が、測らずも、他の流儀の会得と利用を容易ならしめる底力となつたのであります。
 してみれば、一方の流儀からみて低いと思はれた「文化」は、その実、思ひがけない別の流儀の、しかも、それはそれで相当に高い「文化」であつたといふことが、解るものには解らなければならないのです。
 わが古典文学にみる生活感情の豊かさと表現力の逞しさ、西洋ではまだやつと素朴な手法の物語が生れかゝつた時分、日本の王朝時代には既に、「源氏物語」のやうな幽玄きはまる小説文学が創り出されてゐるくらゐです。
 韻文としての和歌や俳句の妙境は比較を絶してゐるとは云へ、美術に於ける絵画、彫刻、建築、工芸の粋をとつてみれば、日本人の精神の鋭さ、深さを示す好適例は無数にあるのであります。
 学問の領域に於ても、最近の研究に従へば、哲学の如き抽象理論の追求は別として、自然科学、特に数学の発達は、明治以前に於て著しいものがあるとのことです。
 本草学としての薬草の採集、観察、実験の価値などは、将来、世界医学の根柢を覆すものと期待する向もあります。
 この領域のことは、私は受売りに過ぎませんから、確信をもつて事実を述べることはできませんが、少くとも、古来、学者と云はれる人物の日本的特性を考へてみると、甚だ興味あることは、彼等が常に経世済民の志を掲げ、「学」と「徳」と「芸」とを一体として身につけ、更に「文」を業としつゝも、「武」の道をもつて心の備へとしてゐたことであります。即ち「士人」をもつて常に自ら任じてゐたのです。
 芸術の分野にもう一度帰れば、日本人の「美」の理想は、単なる感覚的なものではなく、そこには必ず、品とか、気韻とか、風格とかいふ、つまり倫理的な高さを求めました。それと
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