、之は希臘劇以来、近代劇に到る迄或る優れた舞台を見ますと、其の舞台の上には必ず其の戯曲の作者と云ふ一つの天才が光つて、芝居全体を先づ観客の胸に投げつける。日本の能狂言、歌舞伎はさういふ風な仕組になつてゐない。歌舞伎はそれではどういふ風になつてゐるかと云ふと、舞台の上に現された一つの芸術的なエナヂーが非常に多勢の人間の長い工夫と練磨による創造といふ形をとつてゐる、さういふ印象を与へます。詰り舞台の上の美しさ、調和といふ様なものが非人称的であります。私でも、お前でも、彼でもない、非人称的な、理論とか体系といふものを超越した一つの感覚的の美しさ、此理論とか体系とかを超越した感覚的な美しさと云ふものはどう云ふものを云ふかと云ふと、普通人間ならば誰でも感じ得る美しさを圧縮し、それから整理し、それから磨き上げる。此圧縮と整理とそれから洗練の境地、さういふものが能狂言或は歌舞伎の舞台では見られる。之が恐らく外の如何なる種類の芝居、演劇にも見られない一つの特色だと思ひます。之は自然の写実的な模写といふ様なものでないし、又逆に自然と云ふものを枉げて、歪めて、それを或る一つの形式に当嵌めたものでもない。自
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