らしい歌舞伎劇の勃興につれてそれが少しも衰えない。民衆の中に歌舞伎劇が盛になると同時に、矢張り社会の上層階級に於ては能狂言と云ふものを飽迄支持し、それを護り続けて来ました。明治時代になつて西洋の伝統を継いだものが起つて来て、矢張り徳川時代に在つたものを駆逐して仕舞はない、それが矢張り民衆の間に根をおろして居る、斯う云ふ状態が同じ民族の中に、形式の豊富な種類の違つた芝居を同時に発達させた原因なのであります。明治以後になりまして、能狂言或は歌舞伎と云ふものが、日本人のこの近代的な生活と相容れない、日本人の近代的な生活を舞台の上で現す為には、非常に不便な形式であると云ふ事に気がついて、こゝで新しい形式を備へた演劇の運動が起つて来ました。之が今日新劇の運動であります。演劇の革新運動は思想運動と並行して一般に知識階級の支持を受け、知識階級がさう云ふものを求めたのでありますけれども、一般の民衆は寧ろ歌舞伎劇の特殊な魅力に愛著を持つて居る。歌舞伎劇と云ふものはもう無くなるといふことを言はれながら、今日でも日本演劇の本流になつて居る。此事は実は、私が芝居を専門にやつて居り、殊に新らしい運動に関係してゐ
前へ 次へ
全37ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング