らしい歌舞伎劇の勃興につれてそれが少しも衰えない。民衆の中に歌舞伎劇が盛になると同時に、矢張り社会の上層階級に於ては能狂言と云ふものを飽迄支持し、それを護り続けて来ました。明治時代になつて西洋の伝統を継いだものが起つて来て、矢張り徳川時代に在つたものを駆逐して仕舞はない、それが矢張り民衆の間に根をおろして居る、斯う云ふ状態が同じ民族の中に、形式の豊富な種類の違つた芝居を同時に発達させた原因なのであります。明治以後になりまして、能狂言或は歌舞伎と云ふものが、日本人のこの近代的な生活と相容れない、日本人の近代的な生活を舞台の上で現す為には、非常に不便な形式であると云ふ事に気がついて、こゝで新しい形式を備へた演劇の運動が起つて来ました。之が今日新劇の運動であります。演劇の革新運動は思想運動と並行して一般に知識階級の支持を受け、知識階級がさう云ふものを求めたのでありますけれども、一般の民衆は寧ろ歌舞伎劇の特殊な魅力に愛著を持つて居る。歌舞伎劇と云ふものはもう無くなるといふことを言はれながら、今日でも日本演劇の本流になつて居る。此事は実は、私が芝居を専門にやつて居り、殊に新らしい運動に関係してゐるものとして、非常に残念なのであります。といふ事は歌舞伎劇のすぐれてゐることを否定はしませんけれども、現代の日本人は矢張り現代の演劇をもつべきでありまして、その現代の演劇が日本の演劇の主流にならなければならぬと云ふことを絶えず主張して居ります。日本といふ国には非常に新らしいものが早く這入つて来る様に一見みえますが、併し其の新らしいものが此民族の中に根をおろしてしまふのには実に長い時間がかゝります。其の骨折りを日本の若いゼネレーシヨンは本気になつてやらうと思つてゐる訳であります。種類の非常に豊富だと云ふことが、日本演劇の特色だと今申しましたが、実は芝居其のものゝ特質と云ふ事はそんなことぢやないと思ひます。もつと芸術としての本質に根ざした特色があると思ひます。さういふ点にちよつと触れますと、先づ今日日本の演劇の中で一番完成されたものとして能狂言、歌舞伎といふ古典劇を挙げなければならぬ。此の二つの古典劇は共通してゐる或る特色がある。この共通して居る特色と云ふのは何かと申しますと、少しむづかしい言ひ方になりますけれども、舞台そのものが個性を殆ど無視してゐるといふことであります。西洋の芝居ですと
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