いふのがあります。之は一つの芝居が一つの技巧に徹した証拠であります。歌舞伎劇で本物の俳優が舞台に出るのですがそれにも拘らず其の本物の人間が色々な事を演り尽した上、どうも面白くないと云ふので俳優が人形の真似をする。俳優が人形浄瑠璃の振りをするのであります。俳優は成る所に行きますと、いきなり音楽に合せて人形の表情で人形の手つき足つきで踊を踊るのです。其時は後に人形使ひになる黒い著物を著た男が居ります。さうして其の俳優を人形の様に見せる。それが人形振りであります。其次が立廻。此立廻りといふのは昔は矢張り非常に勇気があり同時に、技術の優れた人間が大勢の人間を対手にして其の大勢の人間を皆斬り倒すと云ふ場面でありますが、其の為には実は普通の人間には持てない様な刀を一ふり振つて其処に居る雑兵共が皆倒れる。之が立廻りぶりであります。元は単純なものでありましたが、それぢや見物が満足しなくて後に軽業式になりました。之は斬られる人は大勢居りまして一人々々を違つた形で斬り倒す。斬られる方も亦た夫々違つた形で倒れます。斬られて唯だばたりと倒れたんぢや興味がないので顛覆つて倒れる。或は上にくるつと顛覆へして殺すと云ふ風に。斬る方も斬られる方も技術を尽すと云ふのであります。即ちそれがアクロバシイでもあり、同時に舞踊でもあるのであります。之は結局殺されるとか殺すと云ふ場面を軽業化し、同時に踊にするとユーモアが出て来るのであります。もう一つ八番目には六法。非常に大きな太刀を両刀差して、両手を大きく振つて脚で大股に踏張りながら歩いて行く。之は矢張り芝居の或る方面で六法と云ふのをやりますが、見物の視線を一人に集めると云ふことが主になつて居ります。其の歩き方は江戸時代の或る種の人物の最も得意げな歩き方を代表して居るのであります。それはどんな階級かと云ふと、例の侠客が自分の好な女の所に歩いて行く其の歩きつ振を真似したものであります。今日では歌舞伎ではそれは主役の俳優が舞台から花道をずつと引込んで行く時に使はれて居ります。最後につらね。つらねと云ふのは渡台詞或は厄払と云ふ様な物に共通するものがありますが、之は今の六法を踏みながら云ふ台詞でありまして、それはどう云ふ事を云ふかと云ふと主に名乗りに使ふ。自分はどう云ふ素性でどう云ふ人間だと云ふことを、舞台の者に言ふと同時に見物に聴かせるのです。其の名乗りに使ふので
前へ 次へ
全19ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング