劇の流派が入り乱れてをりました。そこで日本に於ける演劇革新運動は期せずして西洋の近代劇運動と結びつき、西洋劇全体から学ぶべきものと、近代劇の特色として取入れるべきものとの厄介な区別をしなければならなかつた。しかしそれは、その当時としては恐らく誰も考へつかなかつたことでありませう。例へば新しい流行の洋服を着る婦人が自分の体格、姿態、動作にまで気をつけ出したのは極く最近のことであるのを見てもわかります。
 さういふ次第でありますから、今日その当時の所謂「新劇運動」を振り返つてみますと、実は様々な無理があつたのであります。
 先づ第一に、わが国の近代芸術が、西洋に学ぶ外はなかつたといふ事実は、文学美術等と並んで、演劇に於ても同様でありますが、他の芸術部門と異り、演劇だけは一人の教師、一人の留学生だけで、やゝその全貌を伝へ得るといふやうに簡単には行かないのであります。
 例へば、イプセンならイプセン、モリエールならモリエールを、日本人の誰かが読んだとします。読んだだけで舞台が想像できるでせうか? 西洋の俳優が如何にこれを演ずるかは、実際それを見ないとわかりません。かりにこれを観たとしても、そのまゝ人に説明できるものではありません。殊に、私自身の経験によりますと、日本でひと通り面白味がわかつたつもりでゐた外国の戯曲を、その国へ行つて、実際舞台にかゝつたところを見る段になつて、ひどく悄げざるを得ませんでした。極端に申せば、その戯曲の本質といふものがまるでわかつてゐなかつたことに気がついたのであります。近頃の所謂「外国語」は、その当時よりもずつと進歩してゐるのですから、私のやうな馬鹿な悄然《しよ》げ方をしなくてもすむと思ひますが、原則として、芝居といふものは、観てみないとわからない。観ても、その面白さを人に伝へることは六ヶ敷いのでありますから、西洋の芝居をお手本にして、日本にも、「新しい芝居」を作り出さうとした三十年前の演劇革新運動は、誠に、もどかしいものであつたらうと思ひます。しかし、さういふもどかしさが、今日はまつたくなくなつたかと申しますと、決してそんなことはありません。中には、日本の新劇は、もう西洋の芝居をお手本にしなくてもいゝ。大体、西洋の芝居を、そのまゝ日本に移すといふことが間違つてゐるので、日本には立派な歌舞伎劇といふ世界にも類のない芸術があつて、われわれは、その伝
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