い男かどうか、西洋人の真似をして人より進んだつもりでゐるかどうか、正宗氏にわかる筈はないと思ふのである。
「僕は西洋へ行つたことがある」と云ふと、「西洋へ行つたらどこがえらい」とやり返す。
 人が西洋料理の食ひ方を心得てゐる。それを見て癪に触る。従つて、自分は、フオークで肉を刺すぐらゐのことは心得てゐながら、わざわざ手づかみで食ひ、それが却つて、「えらい」と思ふ、さういふ手合が、まだその辺にゐるやうですが、さういふ気もちもわかるにはわかるが、あまり大人げない。正宗氏には、ちつとさういふところがありはしませんか。
 洋行した男が、二口目には「あちらでは」を振り廻す、たしかに聞きづらい。しかし、これは、洋行したといふことが「得意らしく」見えた時代の遺伝的感情である。西洋に行つた人間が、だんだん得意であり得なくなると、その「あちらでは」が、そんなに聞きづらくなくなるだらう。
 西洋へ行つたから「人より進んでゐる」と思ふ人間も馬鹿の骨頂ながら、西洋へ行つた人間の云ふことでさへあれば、「西洋人の真似をしてゐる」と思ふ人も、凡そ量見が狭いではないか。
 心外の余り、先輩に対する礼を忘れて、やゝ語調が矯激に失した恐れがあるが、これは正宗氏だけに云ふのではないと思つて頂きたい。
 更めて云つて置く。僕は、今後も文学上の意見を発表するつもりである。それが若し、「仏蘭西文学の標準」によつてゐるらしく思はれても、僕は、日本文学を仏蘭西文学にしようなどゝいふ野心は毛頭ないのである。
 僕はあくまでも、日本人である「僕の標準」を有つてゐる。



底本:「岸田國士全集20」岩波書店
   1990(平成2)年3月8日発行
初出:「文芸春秋 第三年第六号」
   1925(大正14)年6月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年9月10日作成
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