中野重治氏に答ふ
岸田國士
一、役者が批評家と公然の舞台で議論するやうになることは、特にいいこととも考へられませんが、自分の主張を、役者なるが故に、堂々と発表できないといふ習慣は、勿論、排撃すべきでありませう。
所謂「人気商売」といふやうな安直なレッテルを貼られ、世間へぺこぺこ頭を下げてみせるやうな役者は、たとへその機会が与へられたとしても、批評家を向ふに廻して敢然と太刀打ができるでせうか。
ただ「批評家に何を云はれても泣寝入するしかない」のは、強ち役者に限つたことではなく、同時に、自分に対する不当な評価を、平然と黙殺し得る特権も亦、彼等に与へられてゐると思ふのです。舞台の演技、即ち役者の芸なるものくらゐ普遍性をもち、素人にもその魅力がわかり、名の定まるのに棺を覆ふ必要のないものは稀であります。
但し、現在のやうに「芝居」と「芸術」とが別々の道をゆき、真に芸術家たらんとする少壮俳優たちが、その修業の道程に於て方向を見定めかねてゐる時代に於ては、彼等は進んで「信頼すべき批評家を身近にもつ」工夫をしなければなりません。
日本新劇倶楽部の事業の一つは、演劇の各部門が一層緊密な関係に於て協力を計ることであり、その意味で、適宜に研究会、座談会等を開き、俳優と批評家との接触による相互の便益が加へられる筈であります。
二、「日本の演劇世界のなかにある封建的――資本家的――親方制度的――タカリ的なさまざまな中間搾取メカニズムをなくなして行くことは」、申すまでもなく、必要であります。
また、それは当然、可能な筈ですが、現在の興行者の理想と、劇場の組織と、これに従属する芸術家の教養のなかでは、もはや、絶望と考へられてゐます。小生も決して貴下以上に既成演劇界の事情に通じてゐるものではありません。しかし、仕事の関係で、その「腐蝕的」な現象には、絶えず顔を顰めさせられてゐる一人です。根本的な問題には、案外眼をふさぎたがる日本人の通弊でありませうか、この問題は、従来、誰がなんと云ひ出してみても、有耶無耶に葬り去られ、外部からはどうにもならない問題として見逃されてゐるやうです。
一度、責任ある人物の口から、これでいいのかどうかを聴きたいと思ふのは小生ばかりではありますまい。
が、さういふ特殊世界は、最早、何等時代に貢献する力もなく、早晩内部的に崩壊するでありませう。なるやうに
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