んの場合は、さあ、どうか知ら?
悦子  これで二十八よ、あたしはもう……。どういふ意味でも、新しく出直すつてことが、女にはもうできない年になつてるのよ……。あんたの何時か言つた、勇気もお金も時間もない、今の場合を考へて頂戴……。なにが恐ろしいつて、あたしは、一人つきりになることよ。(涙を拭く)
愛子  (突然大声で笑ひ出す)
悦子  (キツとなり)どうして笑ふの?
愛子  ごめんなさい、つひ笑ひたくなつたの……。
悦子  いいわよ。笑ひたけりや笑ひなさいよ。やつぱりさうなんだわ……。あんたみたいな冷血に、なにを云つたつてわかるもんか! 今日限り、姉妹の縁を切るわよ。洋妾みたいな生活をして得意になつてたら大間違ひだわ。あんたには、心の悩みなんてものがないんでせう。男の顔がお金にみえて、毛皮の外套が幸福のシンボルなんでせう……。
一寿  また喧嘩をはじめたのか。月に一度、云ひ合ひをしに此処へ来るんなら、わしやもう、部屋を貸してやらんぞ。
愛子  姉さん……。何時かのことを思ひ出さない? あたしが、あんな口惜しい思ひをしてる時に、姉さんは、口で優しくあたしをなだめながら、心の中で、笑つてゐたぢやないの……。あたしが馬鹿に見えたんでせう? あたしが泥だらけになつて、それがうれしかつたんでせう……? だから、同情にならないとは云はないわ。それがあたしたちの同情よ。相手を慰める悦びに、人は酔ふことがあるのよ。姉さんは、それだつたのよ。それを有難がる相手もあつていいでせう。あたしはちつとも有難くないの。だから、あたしは、人にもそれをしないのよ。悪く思はないで頂戴……。
悦子  そんな理窟、聞きたくない。あたしは心から、あんたの不幸を悲しんであげたんだ。
愛子  悲しんでくれて、それがどうなつた? 人間の不幸が若し過ちから生れるもんなら、さういふ不幸を、先づ、笑ふのがほんとだわ。あたしはむろん、今、そんな意味で笑つたんぢやない。姉さんが、心の中で、あたしを笑つた、あの笑ひ方を、声に出してみせてあげたのよ。わかつて? おつしやる通り、アイコだわ。
一寿  あああ、いい加減によさないか? わしは腹がへつて来た。(さう云ひながら、室内を歩きまはる。喧嘩がすむのを何時もの通り待つてゐるのである)
悦子  ぢや、それで勘定はすんだわけね。序に、これからは、赤の他人になりませう。妹がゐると思ふ
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