つてしまつた。むろん、話し合ふ用事なんかなくなつてしまつたんだらう。わしは、食堂で、三度三度その二人が卓子の両|端《はし》を占領して、まるつきり眼と眼を反け合つてゐる有様を、ある時は気まづく、またある時は滑稽に思つてながめ暮したもんだ。あそこまで行けば、喧嘩も徹底してゐる。仲が悪いなんていふ生やさしい関係ぢやない。さうだらう、顔を見るのもいやだから、自分はほかへ遷らうつていふ気をどつちかが起しさうなもんだのに、さういふ気は起さない。ね、毛唐はさういふところが面白い。遷つた方が負けになるんだ。主人の細君、つまり、その婆さんたちの義理の妹といふのが、これはまた陽気な女で、いい対照だつた。さう云へば、喧嘩をしてゐる二人も、顰めつ面ばかりしてゐるわけぢやない。相手を前において、ほかのものと必要以上にはしやいだりすることもあるんだ。一種の示威運動だ。――お前さんと口を利かないぐらゐで、あたしの人生は不幸になりやしないよと、つまり、それとなく虚勢を張つてみせる。さあ、さうなると、一方も、これに対抗する上から、そばの誰かをつかまへて、自分が現在如何に幸福であるか、その日その日を如何に楽しく送つてゐるかを力説する。更に片つ方が親友と旅行する計画について吹聴すると、片つ方は、教会の集りで、余興委員に挙げられたことを自慢するといふ具合に、そのへん、なかなか、聴く方でも骨が折れる。

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扉をノツクする音。
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一寿  アントレエ!

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愛子が、すばらしい洋装で現はれる。
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一寿  (わざと、西洋紳士が貴婦人を迎へ入れる時のやうな調子を真似て)ビヤン・ヴニユウ・シエエル・マダム。(それから、椅子をもう一脚火鉢のそばへ寄せながら)アツソイエ・ヴ・マダム・ラ・ヴイコンテス!
愛子  (父親の道化芝居には目もくれず、いきなり、姉の方に向つて)どう? 忙しい? 
悦子  愛ちやん、今日は一生の仲直りしませう。あたし、今度、遠くへ行くことになつたの。
一寿  (驚いて)何処へ行くつて?
悦子  まだ、はつきり決めてないの。なるべく遠くへ行つちまふつもりよ。
愛子  なあぜ。
悦子  少し、わけがあつて……。ゆつくり話
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