題にする必要はあるまい。
で、前に述べた如く、日本には作劇第一免許状を持つてゐない自称劇作家が多い。多すぎる。これは無免許運転手と同様、危険千万である。つまり、読者や見物の方が、油断なくよけて歩かないと、とんだ憂き目に遇ふからである。
このことは、所謂新劇俳優にも通用する。此の方は免許状が実際に要るさうであるが、それは警察の方で知つたことで、こつちの知つたことではない。俳優の第一免許状と云へば、「台詞が言へるか言へないか」といふ免許状である。「対話させる術」に対して、これを「対話する術」と名づけよう。対話のできない人間といふものは嘗て聞かないが、その術を心得てゐる人間は、これまた日本には少ないのである。少ないのはいいが、それを心得ずして俳優を志すことは無謀も甚だしい。
「対話する術」とは何かと云へば、「言ふこと」のただ一つの「言ひ方」を捉へることである。「語られる言葉」の心理的効果に敏速な判断を加へ、一方、その効果の表示に適切な機会を与へることである。少々固苦しい言ひ草であるが、これを詳論する暇はない。
さきに、戯曲の読み方のところでも云つたことは、俳優の場合に最も必要で、一々の言葉、一々の文句、一々の台詞に決定的な表現を与へる基礎的素質、つまり「語られる言葉」に対する感性だけは、どんな俳優でも有つてゐなければならない。
俳優の素質については、後日詳論する機会があると思ふ。
これでまづ、「我等の劇場」が要求する演劇の根本条件について、戯曲の本質、舞台の言葉なる意義並びにその研究法について、概略の説明を終つたつもりである。(一九二五・四)
底本:「岸田國士全集19」岩波書店
1989(平成元)年12月8日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「演劇新潮 第二年第四号」
1925(大正14)年4月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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