は、限りなく翼をひろげる。
 演劇のエルサレム! 私は巡礼のやうに敬虔な眼をあげて、夕暮の星を仰いだ。
 私は幸にして、まだ少女歌劇といふものを見たことがないのである。そして、ここでもまた見ないつもりである。

 中劇場国民座の舞台で、私の『百三十二番地の貸家』が演ぜられてゐる。
 見物は空気にひとしい。
 舞台では、たしかに、三つ四つの火が燃えてゐる。私は慰められた。
 小劇場はヴエエトオヴエン祭の管絃楽。
 聴衆はさすがに耳を忘れて来てゐない。
 この一堂は、恐らく、神戸――大阪を底辺とする三角形の頂点だ。

 翌日、大阪朝日の講堂で、フランス現代劇の新傾向を論じたのは私だ。馬鹿なことをしたものだ。
 帽子をかぶつてゐる諸君よ、向うを向いてゐ給へ。
「退屈」は音を出すものだ。私は、その音を大阪と神戸で聞いた。

 京都のタクシイ、千鳥足。
 都ホテルのバルコニイで、何々婦人会がそつ[#「そつ」に傍点]歯を並べ、何条通りかのカフエエで、高等学校の生徒がプロレタリア文学を論じてゐた。
 そして、私は、そのホテルで昼食をすませ、そのカフエエで、主賓らしく納まつてゐたのである。Y氏の如才なき干渉がなかつたら、私はどこまで行つたらう。

 公会堂は、男が右、女が左、満堂の聴衆は、紅白二流の旗の如く演壇の前に棚曳いてゐた。
 K氏が現はれると白い旗がひらめき、S氏が現はれると赤い旗がひらめいた。
 旧都の夜にふさはしい静かなまなざしを感じながら、私は空腹とたたかつた。

 朝、十一時、瓢亭の庭の池に、紅椿が一輪、なまめかしく浮いてゐた。
 なんて、嘘かもしれないさ。

 神戸では、義弟が、A丸に乗り込む日である。
 テエプが涙で切れたら、それは見ものに違ひない。同行の某大尉が、細君に最後の小言をあびせかけ、私は眼をつぶつて、地中海の波の色を思ひ浮べた。



底本:「岸田國士全集20」岩波書店
   1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
   1936(昭和11)年11月15日発行
初出:「サンデー毎日 第六年第二十七号(夏季特別号)」
   1927(昭和2)年6月15日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年3月25日作
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