れを果さずにゐるが、おほかた、察しはつくのである。
その他、投書などによつて推定される一般の読者について、私は常に新聞小説といふものが、いかなる制約があるにせよ、やはり書き甲斐のあるものだといふことを感じさせられる。
しかし特別な場合を除き、全部を書き終へてから発表するといふ当り前なことがどうしてもできない実情と、読者の側からは、一回に限られた僅かの行数を、まる一日の間をおいて読み続けて行かねばならぬといふ奇妙な読書法とを、殆ど無意識ではあるが今日まで多くの作家が、「新聞小説」のひとつの「呼吸」として、生かし、利用してゐることは否めない。
こゝから新聞小説の、即興的とまでは云へぬにしても、やゝ「時間芸術」のあるものに類似した、観念の深さの限界と、文体に必然的に影響するリズムの法則とが考慮されなければならぬのではないかと思ふ。
強ひて理窟をつければ、まあこんなことになるけれども、だいたい、そんなことは計算づくで書いてゐるわけでもあるまい。文学の諸種目を生みだす制約といふものが、鑑賞者のそれに応ずる精神の働かせ方に基礎をおいたものであるとすれば、特に、例へば、新聞小説の場合に、読者の「記憶力」を強要するといふやうなことは、実際、それをする方が無理なことはわかりきつた話なのである。
新聞小説は、云はゞ、現代の「活字」の暴威のなかに育ち、しかも、印刷術発明以前の「物語」とひそかに相通ずる一種皮肉な反抗児ではあるまいか?
最後に、拙作「泉」をなが/\読んでくださつた読者に、同じ紙面をかりて序にお礼を申したい。鞭撻、助言、批評を与へられた方々にも、いちいち返事はさしあげなかつたが、こゝでご挨拶をしておくことにする。
底本:「岸田國士全集24」岩波書店
1991(平成3)年3月8日発行
底本の親本:「東京朝日新聞」
1940(昭和15)年3月16、17日
初出:「東京朝日新聞」
1940(昭和15)年3月16、17日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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