るが、これなぞは恐らく、日本の学者がどういふところで余計な精力を浪費してゐるかといふ好い例だと云ふのである。
 その通りである。
 かういふ例は無数にあるのであつて、この行き方をおしひろげると、現代日本の文化的弱点がありありとわかるのである。

 日本には立派な文化の歴史があり、今日もなほ、優秀な文化感覚をもつてゐる国民の一つであるが、悲しいかな、一人一人のうちにその感覚が生きてゐず、創造の芽が眠つてゐるのである。従つて過去のある時代に於るやうに、国民の特質が渾然とした一つの大きな力になつてゐないところに、現在のわれわれの弱味があると申してもよろしいのである。
 お医者さんの仕事に例をとつてみる。ある地方で開業してゐるお医者さんで非常に腕もあり信用もあつて、普通ならどう見ても立派なお医者さんで通る人である。しかし、そのお医者さんは、自分のところへ来る患者の脈をとり、薬を与へ、専心その治療に当つてゐるといふだけで満足し、その地方の一般保健衛生の問題には一向無関心なのである。青年の体位が低下しつゝあることも、乳幼児の死亡率が高いことも、結核蔓延の徴があることも、きつと知らない筈はないのに、これに対する医者としての方策といふものを考へたことがなく、まして、自ら進んで、この問題の解決に乗り出さうとはしない。それは政府がやることだと空嘯いてゐる。かういふお医者さんが大部分であるといふ結果はどうなるかといふと、日本の現状では、国民の体力は日に日に衰へて行くばかりで、しかもその罪は、国民全体にあるのだけれども、特に、日本の医者にあると云へるのである。お医者さんたちがすべて先頭に立つて、国民の指導階級に呼びかける運動がもつと早く起らなかつた原因はどこにあるか。お医者さんたちの日本人としての理想が曇らされてゐたからである。
 現在、最も必要なことは、国民の中堅たる文化職能人が、これまでの行きがかりを捨て、拗ねずに、照れずに、裸になつて、国民の指導者たる任務を買つて出ることである。
 それには、どうしても、力を協せるといふ態勢を整へるため、横のつながりといふものをもたなければならない。同じ専門家同士の連絡はもとより緊密でなければならないが、それと同時に、科学者は科学だけの畑で国民を指導することはできず、宗教家も宗教だけの名目で人を率ゐることは不可能なのである。
 科学者と宗教家は、互に相信じ、相携へて、共通の道を歩かなければならないのである。教育家と芸術家とも同様であり、服飾の研究家と営養学者と建築技師とは、これまたそれぞれの見地からのみ国民生活を眺めてゐることは許されない。
 国語問題の解決は国語学者の手に委ねておいてはならず、対外宣伝には、あらゆる部門のエキスパートを動員して、国民の最高の智嚢を絞るべきである。
 この種の工作を、今後、文化部はまづしたいと思つてゐる。
 かやうにして出来あがつた文化機構の再編成は、やがて、国民生活を豊富にし、明朗にし、健康にする最も近道だと考へるのであるが、こゝで特に学生問題に触れゝば、学生こそは、云ふまでもなく、明日の日本の希望である。
 私は常々考へるのであるが、現在五十歳以上の人間は、もう、これからの文化を語る資格はまづ疑はしい。全然駄目だといふわけではないが、大体現状維持派であり、口では革新を唱へても身みづからその範を垂れる人は寧ろ例外に属すると思はれる。
 三十代四十代の人間は、少しは見込みがある。しかし、もう既に、齢人生の半ばを過ぎれば、習慣といふものがどうしても身についてしまふ。いくら習慣を払ひのけたつもりでも、どうかすると、ひよつこりそれが顔を出して、全く新しい性格を作りあげるといふことは至難の業である。たゞ、いゝところは、さういふ努力を試み得ることゝ、それによつていくらかでも次の時代を支配し得るといふことである。
 さて、二十代十代といふのは、これはまだ自分さへしつかりしてゐれば、どうにでもなる年である。
 新体制といふ看板をかゝげながら、われわれの世代では完成し得ないに違ひない国民的新文化の基礎を、大いなる夢と若い力とをもつ諸君の手にわれわれは托するのである。(昭和十五年十一月)



底本:「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
   1941(昭和16)年12月20日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年6月10日作成
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