終作品の精神を誤り伝へはしないかといふつゝましい演出者の努力は、少くとも作者に非常な好感を与へるものに違ひない。この点で新国劇は、やや作者の存在を忘れてゐる憾みがある。これはもし沢田氏自身から、直接意見を徴せられた場合には、明らかに言ふことを避けたい問題であらうと思ひます。抽象的なことは、こゝで言ふことを避けるとして、一度あの作品を活字によつて読まれた方ならば、沢田氏がいかに作者の苦心をした、台詞に対して、必ずしも鈍感だとは言ひませんが、甚しく無頓着であるかを認められるでせう。
 第三は、あの芝居を見て面白いといふ人は無論あるでせう、そしてそれは、確かに沢田氏以下演技者の天稟の魅力、乃至は今日まで鍛へ上げた腕前の賜であるに違ひありません。しかし、あの芝居を見て詰まらないといふ人達のうちには、新国劇の将来最も依頼すべき人達がゐることを注意してほしい。謂ゆる芝居語には通じないのですが、一般に受けるといふやうな事柄は、少数のオンネート・オンム、モリエールの謂ゆる「立派な人」を除いた大多数に迎合するといふことならば、更に目をひろくしてこのオンネート・オンムを含んだ観衆全体に訴へ得る魅力を、この
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