以上述べた日本の現状からいへば、必ずしも恐れる必要はないので、これが成功すれば現代通俗劇の新しい誕生だともいへるし、新劇は面白くないものだといふ世間の通念を覆す役にも立つのであつて、これはこれとして、立派に仕事になり得ると思ふ。ただ、肝腎なことは、俳優の慎ましい自己批判である。
 次で、築地座であるが、この方は、今のところ、目標が明かでない。多少、日本の創作劇を数多く上演するからといつて、それで、築地小劇場と区別することは出来兼ねる。ただ、創作劇によつて、翻訳劇的マンネリズムから脱しようといふ心がけなら、それを徹底させてもらひたい。そして、一方、対社会的には新進、無名の作家をどしどし紹介して、文字通り、新時代の味方になつてもらひたい。
 私は、この機運に乗じて、偶然二人の異色ある新進作家が、相携へて世に出たことを愉快に思ふ。
 一人は、改造五月号に「馬」三幕を発表した阪中正夫君、もう一人は、「劇作」四月号に、「二十六番館」三幕を書いてゐる川口一郎君である。
 阪中君は既に文壇の一部に識られてをり、その作品も、これまで相当の評価を得てゐたことである。今更めて云はないこととし、川口一郎君について、私は是非劇文壇の注意を喚起したいのである。
「劇作」といふ雑誌は、それほど広く読まれてゐないことと思ふが、川口君の作は、その量に於いて、正に力作の名に恥ぢないのみならず、その質に於いては、優に一家を成すものと私は信じるのである。材料を亜米利加東部の移民生活に取つたところ、たしかに、登場人物の変質的な生活断面が好奇心を惹くのであるが、その描写の並々ならぬ手腕は十分察しられ、雰囲気を醸し出す舞台技巧の冴え、重厚な会話の運転、事件を生み出す心理の確かな把握は、劇作家として、既に可なりの修業を積んだものと思はれる。作中、個々の人物が、多少概念的であつたり、輪郭がぼんやりしてゐたりするが、これは、作者の眼がまだ若いせゐもあらうし、多少、批評精神の欠如といふことにもならうが、これは、畢竟、「作ること」に没頭した、いはば習作時代の戯曲に於いて、誰しも容易に陥る弊であり、今日の川口君に向つては隴を得て蜀を望む類ひであらう。
 兎に角、この調子を押し進めて行けば、同君の将来は、実に洋々たるものがある。この数年来、これほど戯曲らしい戯曲を私はまだ見てゐない。中村正常君の「赤蟻」、阪中君の「鳥籠を毀す」、それぞれ文学として、又は戯曲に盛り得る最高のリリシズムとして、当時私は推賞を惜まなかつたものであるが、戯曲の常道を行く技巧と形式の上からは、完成の域に近い意味で、やはり、この「二十六番館」を挙げるべきであらう。これは、先づ文学的であるよりも舞台的である。文学的には感覚の鋭さを見ることはできないが、舞台的には、心憎いスマアトさを示し、実際、日本の俳優では、その効果を生かすことが困難だと思はれる個所が到るところにある。ただ、しかし、前に述べた明瞭な欠点と、作者の「新帰朝者」らしい老婆心が、この作品を幾分、取りつきにくいものにさせてゐる。私が、老婆心といふのは、人物のあるものを、強ひて解りよく書かうとしてゐるところ、例へば、人物の性格とミリュウの関係を故ら結びつけようとしてゐることなどである。これは、老婆心でなくつてなんであらう。但し、この老婆心は、一面、この種の作品を、「気ざさ」から救ふことにもなるのであるが、川口君に、断じてその心配は無用である。
 私が特に、阪中、川口両君の名前を挙げたのは、必ずしも二人を比較する意味はないのだが、今将に興らんとしつつある新劇時代が何等かの意味で、前時代よりの飛躍を目指してゐるとすれば、それは最も戯曲らしい戯曲を提げて現れた川口君と、従来の抒情風な作品から、漸次、生活的内容を整へて、遂に、「馬」三幕の如きファンテジイに富む社会喜劇にまで到達した、阪中君の劇作家的成長とを結び合はせて、必ず、戯曲と舞台との提携へ進むものと断言し得るのである。そして、そこからこそ、「われわれの芝居」が生るべきであると信じてゐる。(一九三二・四)



底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代演劇論」白水社
   1936(昭和11)年11月20日発行
初出:「都新聞」
   1932(昭和7)年4月24、25、26、27日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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