るか。
「人生の幸福」を小説家正宗白鳥氏に求めて成功し、「閻魔の眼玉」を再び小説家岩野泡鳴に求めて失敗した。名小説家、必ずしも名戯曲家ならずとの結論を引き出す前に、もう一度、「人生の幸福」一篇の「劇的本質」について、深く想ひを凝らす必要はないか。
 初日、即ち最後の舞台稽古日には、武者小路氏作「張男の最後」はやれなかつた。見落して残念であるが、二度行く機会はなかつた。
 新劇協会は、今日、われわれの有つ唯一の新劇上演機関である。築地小劇場が、外国劇の演出に特殊な努力を払ひつゝある間、われわれは、現代日本の生んだ新作戯曲を、同志会館の舞台以外では殆ど見ることができないのである。
 僕が新劇協会の提灯をもつことは少しも不思議ではない。畑中氏は僕の知人である。
 新劇協会のこれからの仕事、それはわからない。が、此の一座には、少くとも二三の頼もしい俳優がゐる。舞台監督の技倆も信頼するに足ると思ふ。此の上は、劇団存立の基礎を固めるにある。内外の宣伝が必要である。求めて直ちに得られるものは劇界有志の後援である。精神的助力である。僕は切に、新劇協会宣伝部の自発的活動と、一般劇評家の熱誠ある協賛を希望
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