以て見ることができやう。
次は、ジュウル・ロマンの『クノック』――訳者岩田豊雄氏の監督並びに装置である。これも新劇協会独特の上演法である。岩田氏は、長く仏国にあつて演劇の研究に没頭し、将来舞台監督として、将又装置家として、わが劇壇にその手腕を示すであらう一個の得難き才能である。氏は先づ、その籠手調べとして此の「紹介的演出」を行ふのであるが、実際的経験の浅さに於て、或は多少の「思惑違ひ」を見せはしても、純仏蘭西式舞台の味を日本の観客に「味はせる」だけの自信はあるらしい。
最後に、もう一つ何を据えるか。出演俳優の関係でまだ決定には至らないが、これも、ほかの舞台では見られない「或るもの」をお目にかけられるだらうと思ふ。
少し長々と新劇協会について語り過ぎた。尤も、その必要がなければ、此の標題は選ばなかつたかも知れない。
新劇運動の二つの道――その一つを歩む新劇協会の仕事を理解する人は、そこに足らないものを云々する前に、他に求められないのをそこに発見して満足すべきである。いや、満足せよとは云はぬ。しばらくそれで我慢すべきである。
先駆的精神は、何ものか、「既に在るもの」の上に築かる
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング