以て見ることができやう。
 次は、ジュウル・ロマンの『クノック』――訳者岩田豊雄氏の監督並びに装置である。これも新劇協会独特の上演法である。岩田氏は、長く仏国にあつて演劇の研究に没頭し、将来舞台監督として、将又装置家として、わが劇壇にその手腕を示すであらう一個の得難き才能である。氏は先づ、その籠手調べとして此の「紹介的演出」を行ふのであるが、実際的経験の浅さに於て、或は多少の「思惑違ひ」を見せはしても、純仏蘭西式舞台の味を日本の観客に「味はせる」だけの自信はあるらしい。
 最後に、もう一つ何を据えるか。出演俳優の関係でまだ決定には至らないが、これも、ほかの舞台では見られない「或るもの」をお目にかけられるだらうと思ふ。

 少し長々と新劇協会について語り過ぎた。尤も、その必要がなければ、此の標題は選ばなかつたかも知れない。
 新劇運動の二つの道――その一つを歩む新劇協会の仕事を理解する人は、そこに足らないものを云々する前に、他に求められないのをそこに発見して満足すべきである。いや、満足せよとは云はぬ。しばらくそれで我慢すべきである。
 先駆的精神は、何ものか、「既に在るもの」の上に築かる
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