究の結果を発表し合ひ、新しい演技理論とその実践について十分の検討を行ふ便宜があるといふこと、従つて、文学座は、その劇団活動の一部を、わが新劇共通目的のために捧げる決意をもつてゐることである。
なほ、劇団の支援団体として、専門的には、「作家団」なる一組織を作つた。この「作家団」は、各自の作品によつて劇団の上演目録を豊富にするのみならず、刻下の情勢に応じた、戯曲の形式及び内容について、十分具体的な意見交換を試みることになつてゐる。
今日までの新劇の歴史を顧みる時、われ/\が一番遺憾に思ふことは、それ/″\の時代に、華々しい宣言を掲げて、頗る野心的な運動がスタートしたにも拘らず、それらの運動から真に演劇の「専門家」を生み出すことができなかつたといふことである。
勿論、常に何等かの意味でのアマチユアが舞台革命の蜂火を挙げるのはいゝとして、それらのアマチユアは、伝統を知らずして因襲になじみ、概ね見覚え聞き噛りの半職業人となるのが関の山で、系統的な知識と修練とを積む機会と方法がなく、基礎的なものを遂に身につけずに、たゞ徒らに年を取つてしまふものが多かつた。
歌舞伎や新派が現代演劇としての生命をとくに失つてゐるとすればこれに代るべき新興演劇のためにもう少しは、所謂、信頼すべき「専門家」が出てゐてもいゝ筈であるのに、どうしてかういふ結果になつたかと云へば、私の意見では、日本に演劇のアカデミイがないためであると思ふ。
この意見は既に再三述べたこともあるが、もはや口でばかり云つてゐても仕方がない時機であるから、私は、先づ手はじめに文部省令による専門学校の形で、明治大学専門部文科の一部門に新に演劇映画科なる一科を創設する案を立て、やうやく学校当局の賛成を得たのである。この施設は、日本に於ける唯一の新演劇綜合研究機関たるべきもので、私の信頼する講師諸氏の協力を得ることによつて、明日の新劇のために少なからぬ貢献ができることゝ期待してゐる。
現代日本の一つの不幸は、各文化部門の孤立といふ現象であると同時に、同一部門に於ても、小党分立、個人個人の睨み合ひが目立ちすぎるといふことである。意識的にさうしてゐるといふよりも、寧ろ、共同の目標に向つて互に足らざるを補ふ精神が芽を吹いてゐないのである。
非常時の合言葉を利用するわけではないが、日本人は先づ日本人同士で結びつくことが、芸術の分野に於ても、おのおのゝためであり、仕事そのものゝためでもあるといふことを私はこゝで繰返して主張したい。
殊に人の少い新劇の畑で、めいめいがその才能と学識と経験とを持ち寄らぬといふ法はなく、そのためには、劇団行動のやうな比較的浮動性の強い組織のなかでよりも、学校とか研究所とかいふ組織を中心としての方が、各人の専門知識を独自の立場で自由に活かしつゝ、尚一定の理想に向つて協力の実を挙げ得る可能性が多いといふことを私は信じて疑はぬものである。
最後に、演劇と映画の問題に関して、私はかねがね、将来の日本映画は、必ず新劇的教養乃至訓練の支配を受けるべきものだと確信し、新劇にたづさはるものは、是非とも映画に片足を踏み入れ、映画を志すものは、絶対に新劇の門を潜るより外道はないといふ建前のもとに、この両者を密接な関係に於て教育する方針であることを伝へておかう。
底本:「岸田國士全集23」岩波書店
1990(平成2)年12月7日発行
底本の親本:「東京朝日新聞」
1938(昭和13)年2月6〜9日
初出:「東京朝日新聞」
1938(昭和13)年2月6〜9日
※初出時のタイトルは「現下の思想統制」「新協劇団の宣言」「「文学座」の内容」「演劇アカデミイ」であり、それぞれに「新劇の行くべき途」の副題が付けられていた。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年11月12日作成
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