。新聞の劇評は、その度数を書き上げて成功の程度を報じるといふ次第です。劇場から社交的空気を一掃することが、演劇の純化に役立つと考へるものがあつたのも、不思議ではありますまい。
 露西亜でも、これに似た傾向は無論あるに違ひない。君子スタニスラフスキイは、この煩雑な儀式! を撤廃して、一方観客のお世辞を封じ、一方俳優の自己陶酔を戒めたのです。
 日本の劇場、殊に新劇に於ては、余程事情が違ふといふのはここです。まして、わが国伝来の風習から云へば、「俳優は見物を面白がらせるのが商売で、当り前のことをするのにこつちが手なんぞたたいてやる必要はない」といふ観客心理であります。さういふ封建的、事大的、階級的心理を打破し、新時代の芸術家を、才能相当に待遇する風習は、音楽の演奏に於て既にその精神が取り入れられてゐるにも拘はらず、新劇は、その苛酷なる文学趣味によつて、「瞬間芸術」の鑑賞及び発達に、知らず識らず官僚的障碍を築いてしまひました。
 それなら西洋では、どんなに退屈な場合でも、俳優に向つてお世辞的拍手を送るかといへば、決してさうではない。前に述べた「足踏み」はもとより、「口笛」、「声入り欠呻」、「
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