新劇のために
岸田國士

 美術館のないことと、いまだに共同風呂が行はれてゐることと、政治が酒色の巷で議せられることと、現代劇を演ずる劇場がないことと、わが国が特殊国たる所以を数へ上げれば、実際、きりがあるまい。
 美術館の問題は、先日来、朝日紙上で矢代幸雄氏が論じてをられたが、その反響が多少でもあつてくれればいいと、私なども蔭ながら念じてゐる次第である。
 銭湯と待合政治の件は、暫く措き、私は、自分の仕事と関係のある芝居の現状について、世の識者に訴へたいと思ふ。

 私は今ここで、必ずしも、演劇の先駆的運動について論じようとは思はない。それよりも、一国の一時代が代表する演劇の主流が、何故に、その時代の生活と縁の遠い古典劇――しかも、全く未来のない舞台――の反覆でなければならないのか。
 なるほど、新派劇といふものはあるが、これこそ、その歌舞伎的情調の非文学的表現によつて、早くも生命を失ひつつあるものである。

 巴里には、大小凡そ六十の劇場があるが、楽劇及び単なるスペクタクルを専門とする劇場を除き、少くとも三十の劇場は現代作家の作品を上演してゐる。その中、芸術的に何等問題とするに足らないものも若干はあるが、所謂ブウルヴァアル劇場と呼ばれる「社交劇場」に於てさへ、相当芸術的価値ある新作現代劇を上演してゐる。ここで、現代劇と限つたのには十分理由がある。何故なら、たまたま時代劇を選んだとしても、それは、現代生活に十分相通じる処のある文学的作品で、殊に、所謂古典劇より明瞭に一線を劃し得る新鮮味に富んだ舞台であるからである。例へば、クロオデル、ロスタン、ポルシェ等の作品が、如何に中世を、帝政時代を、又は「仮想の時代」を描いてあるとはいへ、それを以て、「現代劇」に非ずと断言し得るものがあらうか。否、それよりも、シェイクスピイヤ、カルデロン、モリエエル、ミュッセの作品でさへも、それぞれ、クレイグ、ラインハルト、コポオ、ギイトリイの手によつて演ぜられる時、誰がこれを「古典劇」であるが故に、「われわれの生活に縁の遠いもの」と断言し得よう。
 わが旧劇は、それが歌舞伎劇の名によつて、一部好事家の随喜に値するものであるにせよ、その観衆の大部は、決して仏蘭西の民衆が、その古典劇に対して払ふやうな尊敬も払つてはゐないのみならず、たまたま、現代作家の手になる「新作時代劇」に対してさへ、仏蘭西の民衆が、例へば、ロスタン等の諸作に対して抱くほどの痛切な興味を抱いてはゐないやうに思はれる。
 私は敢て云ふ。わが旧劇の観客は、大部分、仏蘭西に於ける「ミュジック・ホオル」の観客である。そして、仏蘭西に於ける真の演劇の愛好家――これに相当する日本の公衆は、已むを得ず、活動写真館に走るのである。
 映画は映画として、その観客をもつてゐるに違ひない。しかし、現在に於ては、少くとも、「芝居は面白くないから」といふ見物によつて、一層、盛況を呈してゐる観がある。
 これらの現象は、どこから生れたか。私は、度々繰り返したことだが、「新しい演劇の魅力」が、まだ一般に理解されてゐないことが、第一の原因であると思ふ。
 民衆は勿論、歌舞伎劇乃至歌舞伎的人情劇(新派劇)によつてのみ、演劇鑑賞の態度を教へられてゐる。外国劇は、その紹介者の努力にも拘はらず、一般民衆の文学的無教養によつて、その難解な翻訳を通してまで、特種な表現を味はせる程度に至つてゐない。
 外国劇の影響から生れた現代日本の劇作家は、多く、「文学者」の域を脱せず、自分等の作品が「如何に演ぜらるべきか」といふ問題を等閑に附し、又は、比較的それに無関心であることを余儀なくされた。
 その点に意を用ひた作家の大部は、勢ひ、現在の俳優を標準としての舞台的工夫を凝らさなければならない。現在の俳優とは全くの素人か、然らざれば、旧劇乃至新派劇の畑に育つた人々である。その表現能力はある限られた範囲、しかも在来の「演劇中に在るもの」から出ることはできない。従つてそれらの俳優を標準として書かれた作品が、「新しい演劇」の要素を多く含むことができないのは当り前である。寧ろ、巧みに「旧いもの」を取り入れれば取り入れるほど、舞台的に成功したのである。
 新劇の不振亦故なきに非ずである。

 この間に、幾度か、所謂「新劇運動」の名の下に、舞台に「新しいもの」を創り出さうと試みた篤志家がありはしたが、常に様々な障碍に遇つてその企図を挫折させた。そして、その原因の主なるものは、全く、経済的基礎の薄弱なことであるが、その経済的基礎たるや、これを築く方法を知らなければならない。その方法は、理論からいへば、「よき芝居」をすること、言ひ換へれば、一定の見物を飽かせないで引留めておくことである。
 芝居の見物ほど気紛れなものはない。然るに、従来の新劇団は、私の見る
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