続けさまにおつしやるといふのかい。さうしたら、あたしは、お前さんがさつき云つたことを申上げるよ。玉の肌とは一体、なんのことでございませうつて……。
男優E  これは異《い》なこと……。御前様《ごぜんさま》は、大きくお肯《うなづ》きになります。
女優A′[#「A′」は縦中横]  そして、お前は、お手討だ。
男優E  如何《いかが》でございませう。お互ひに逃れられぬ運命、この辺で、妥協の道はございますまいか。
女優A′[#「A′」は縦中横]  喉がかはいたよ、あたしは。
男優E  畏まりました。あの音はたしかに泉の音でございます。ひと走り、確めて参りませう。
女優A′[#「A′」は縦中横]  なに、あたしも一緒に行くよ。
男優E  そこはお危《あぶな》うございます。野茨が茂つてをります。さ、こちらをお通り下さい。(案内をする身ごなし)お待ち遊ばせ。只今、わたくしが場所をこしらへます。お召物をお濡らしにならないやうに……。どれ、お先へ、お毒味をいたしませう。いや、これは冷《つめた》い。水道の水とは比較になりません。天然のアイスオーターでございます。
女優A′[#「A′」は縦中横]  さあ、おどきよ。見てないでいゝから、お前あつちを向いといで!(しやがんで清水に口を当てる真似《まね》)
男優E  (首だけをそつちに向け)思ひがけない天女の口づけ、森の泉は……。
女優A′[#「A′」は縦中横]  (急に顔を上げたかと思ふと、口に含んだ水を、いきなり男優Eの面上に吹きかける)
男優E  (平然として)待てば海路の日和、旱天の驟雨《にはかあめ》、情《なさ》けは人の為めならず……。

[#ここから5字下げ]
男優A、手を打つ。
女優A′[#「A′」は縦中横]と男優Eとは、笑ひながら握手。
[#ここで字下げ終わり]

[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
男優A  大分苦しかつたな。これから、今日の成績について、合評会をやる。その前に、われわれ俳優が、第一に考へなければならないことがあるから、それを云つておきたいと思ふ。抑も俳優は、脚本の奴隷であつてはならん。これは勿論であるが、そのことを弁へながら、往々にして、われわれは、脚本作者の与へるものに信頼しすぎ、これの助けなしには芝居が打てぬと考へてゐる。イプセン、チェエホフの天才は暫く問題外とする。当今われわれの周囲に、どれほどの作者、真に作家らしき作家がゐるか。待て! われわれは、まだ、自分の手で作り出さなければならぬもの、また作り出し得るもの、自分の畑で実《みの》らすべき種を、悲しい哉、悉く彼等作者に仰いでゐるんだ。人生のほんの表面の意味、人間の平凡な心理、世相の僅かな観察、そして、舞台の、あの狭い舞台のからくり、それさへわれわれはまだ掴んでゐないのだ。――君たちの書くものぐらゐ、われわれにだつて書けるぞ、かう云へなければ、今日、日本の芝居は面白くなりつこはない。その上で、ほんたうの、専門的な、戯曲家らしい戯曲家の出現を待てばいゝのだ。では、始めよう。
女優A′[#「A′」は縦中横]  先生、ちよつと、質問をさせて下さい。
男優A  なんだ。
女優A′[#「A′」は縦中横]  俳優つていふものは、どこまで行つても、自分が自分でないやうな気がいたします。それを思ふと、あたくし、泣きたくなりますの。人に決《き》めてもらつた人物になるんでもなく、人の書いた台詞《せりふ》を云ふんでもない、今日のやうな場合でも、自分が何処へ行くのかわからず、一言《ひとこと》喋舌《しやべ》つた後で、何をしでかすかわからないんですもの。
男優A  その疑問は、何《いづ》れ、見物が解決してくれるよ。河野君、君から先づ、気のついたことを云つてみ給へ。
女優D′[#「D′」は縦中横]  あたくし、胸がどきどきして、なんにもわかりませんでした。
男優A  困るな。ぢや、遠山君……。
男優C  僕も、誰がどうだつたかよく覚えてゐません。自分のことで頭がいつぱいでしたから……。
[#ここで字下げ終わり]



底本:「岸田國士全集6」岩波書店
   1991(平成3)年5月10日第1刷発行
底本の親本:「職業」改造社
   1934(昭和9)年5月17日発行
初出:「文芸春秋 第十一年第八号」
   1933(昭和8)年8月1日発行
入力:kompass
校正:Juki
2008年5月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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