も称すべきもののなかに、自ら含まれてゐる一種の「弾み」は、これを如何ともすることができないのである。ところで、かういふ俳優は、多く、「立役」中の花形に多く、一座を統率する才幹もあり、人心収攬の術も心得、芸の上でも光つた一面をもつてゐるのである。
現代の日本に例をとれば、旧劇では第一に左団次と猿之助を推さねばならず、畑違ひの方面では、沢田正二郎が代表的存在であつた。
西洋では、伊太利にこの種の俳優が多く、ザッコニはその尤なるものであるが、仏蘭西にもなかなかあり、サラ・ベルナアルを初め、コクランなども、この部類に属すべきだらう。亜米利加の映画俳優中では、なんといつてもダグラスがその親玉で乾児はざらにゐる。近来、わが舞台の上に活躍しはじめた早川雪洲も、どちらかといへば、この煽動型俳優である。
戯曲の場合と違ひ、俳優にあつては、この傾向が幾分寛大な取扱ひを受くべきであらうが、ただ、危険なことは、彼等が、案外易々と「民衆の偶像」になり得ることであり、その結果、技量以上の人気を背負ひ、動もすれば煽動万能の舞台を見せたがるといふことである。そこには、当然、純粋な意味に於ける演劇の堕落があり、こ
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