を想ひ出しました。
一つは、某高級官吏の意見で、――これからの日本人は「ハッピイ・ライフ」などといふことを希つてはならぬ。「幸福な生活」は国運を賭して長期戦を戦ふ国民とは縁のないものである。「ハッピイ・ライフ」を求めるのはもともと英米流の人生観であつて、甚だ日本的でない――といふのであります。
もう一つは、某将軍の意見で、――いつたい日本の兵隊が強いのは、いろいろの理由はあるけれども、一つには、壮丁が主に農村出身で、戦争に誂へ向きの特徴をもつてゐる。その特徴といふのは、従順と無頓着である。命令に絶対服従することと、神経が太いといふことと、これが戦場では非常に大事なことだ。殊に、都会人のやうに、汚いとか不衛生だとか、さういふ観念が薄いことが、殺風景な生活を平気で送れることになるのであつて、現在やかましく云はれてゐる農村の文化といふやうな問題も、文化を高めると云つて衛生知識を授けたり、物を綺麗に整へることを教へたりするのは、一方から云ふと、農村出身の壮丁を質的に低下させ、兵隊としての強味を失はせる結果になるのだから、その辺のことは大いに考へなければなるまい――と云ふのであります。
この二つの意見には共通の思想が含まれてゐます。それは西洋風の歪められた文化意識の否定であります。即ち、「幸福な生活」を、物質に恵まれ、安楽を主とする、事勿れ主義の平穏な生活と解すれば、誠にこの意見には同感であります。また、汚いとか不衛生だとかいふ観念が、現在の都会人のやうに、たゞ神経質にそれを嫌ひ、或は見栄だけでそれを云ふといふ風な傾向は、甚だ軽蔑すべきであります。その意味で、農村人の逞しい神経と自然な生活態度とはたしかに羨むべきものがあるのでありまして、日本の兵隊の強さの一つはたしかにそこにあることも想像できるのです。
そこで、問題を根本に引戻し、英語の「ハッピイ・ライフ」はともかく、日本語の「幸福な生活」といふものが、真に、日本人としての幸福、国民としての幸福を意味し、国運の発展と家族の繁栄と個性の伸展とを併せ望み得るやうな「めでたき生活」のことであつたならば、そこには歓喜を待つ忍耐、希望をはらむ努力、光明に満ちた献身の見事な生活図が描かれなければなりません。これをこそ、真の「幸福な生活」と云ひ得るのだといふことを前提として、私は、日本人も亦、戦時と雖も、堂々と「幸福な生活」を望み、送るべきだと考へます。
これと同様に、農村が仮りにその無頓着さのために強い兵隊を生むとして、無頓着にもいろいろあるといふことを一応吟味してかゝる必要があると思ひます。
東京のある専門学校で、かういふ面白い経験が行はれました。その学校の生徒は、概ねいはゆる「良家」の子弟で、もちろん都会児が大多数を占めてゐます。学校の教育方針として、生徒の全部が、専門の学課としてではなく、協同生活の訓練と常識の涵養とを兼ねて、農耕作の実践をはじめたのです。一番生徒を悩ましたのは糞尿操作でありました。ところが、一年もたつと、誰一人顔をしかめるものもなくなつたのです。仕事に興味をもちだしたことと、糞尿が「汚い」ものだとは思へなくなつたのです。少くとも、それを扱ふ自分の態度がはつきりして来るにつれて、不快を感ずるよりも寧ろ、これを科学的に処理する快感の方が大きくなつて来たのです。手が汚れても、それは薬品によつて「汚れ」たのと何等違ひはなく、仕事が済めば、洗ふだけの話である。必要と思へば消毒もする、これまた細菌の取扱ひと同じであります。
こゝにわれわれが明らかに察知できることは、これらの青年が、「汚い」といふ観念に於て、以前と全く違つた一つの観念を作りあげ、それが、彼等の神経を一部分ではありませうが、健康なものに復帰させたといふ事実であります。
正しい指導と訓練とが、青年の質をどの程度更へ得るかといふ実験が先づこれで行はれたと私は信じたいのです。
農村人の無頓着さは、なるほど、兵隊としての戦場生活に、ある種の強みは発揮するでせうが、また翻つて農村自体をみれば、その同じ無頓着さが、如何に多くの農村|疲弊《ひへい》の原因となつてゐるか、思ひ半ばに過ぎるものがあるのです。乳幼児の死亡率は、周知の如く、日本は世界一であり、殊に、農村がその大部分を占めてゐる実情であります。これは主として、農村家庭の「無頓着」が生む悲劇なのです。
こゝで、どうしても、「野性」といふことについて考へてみなければなりません。「野性」とは、自然のまゝの性質といふことですが、人間で云へば、都会的影響を身につけてゐない、いはゆる「野育ち」の、素朴で荒々しく、かつ伸び伸びとしたものをもつてゐることです。従つて、がさつ、粗野ともなりますが、一方、健康で、強靭なところがあります。
「質実剛健」といふことは、この「野性」
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