認識させるに役立ちました。
 いづれにせよ、教育は学校のみで行はれるものではないといふ当然の事実が、国家の教育政策として漸く実践的に取りあげられ、家庭教育、社会教育を重視するについても、特に、職場教育とも云ふべき、実務を通じての心身の錬成が、結局、国民教育の仕上げであることを、一般に誰もが同意するやうになりました。非常な教育観の飛躍でありますが、実は、このことは、既に、軍隊教育に於ては試験済みであり、かつ、ナチス・ドイツの例などを引くまでもなく、嘗ての日本人は、総て、家庭と道場と職場に於て、それぞれ、躾けられ、鍛へられ、錬られたのであります。

[#7字下げ]一〇[#「一〇」は中見出し]

 最後に「宗教」について一言します。
 こゝで私は、自分の信仰を基礎として、宗教を語ることができないのを遺憾に思ひます。それならば寧ろ、宗教について何も言はぬがよいとも考へましたが、「戦争と文化」といふ題を掲げ、遂に一言も宗教に触れないといふことは、なんとしても片手落でありますから、たゞ、私一個の感想として、宗教が今日在るがまゝのかたちでなく、明日若しも真に人々を信仰の道に引入れることができるならば、これこそ、戦ひつゝある日本にとつて、絶大の力となるであらうといふことを申すに止めます。
 それにしても、現在の宗教になんの力もないといふのではありません。神、仏、基、それぞれの宗教は、その教義と、これを説く人の人格と、伝道の方法如何によつて、十分青年の求めるものを与へ、その悩める魂を救ひ得るものと信じます。
 特に、神社参拝に見られるいはゆる国体並びに祖先尊崇の国民的信仰は、これを宗教と区別するやう、国家が夙に命じてゐるのですから、宗教と云へば、宗派神道、仏教、基督教、それに僅かの回教があるだけです。
 故に、国民的信仰と宗教的信仰とは、まつたく両立しないものではなく、憲法の章条を引用するまでもなく、国民はすべて、個人または家族としての宗教を奉ずることによつて、安心立命の境地を獲得することができます。
 のみならず、私は敢て云ひますが、青年時代からある宗教の門を潜るといふことは、深い信仰に達するかどうかは別として、少くとも、精神の修練にいくらかの益があるのではないでせうか。最近の社会風潮は、多くの青年が宗教を離れたための、憂ふべき現象に満ちてゐるやうにも思はれます。「天晴れな度胸」と
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