面と結びつくやうになつて参りまして、これは文化職域のものだけが文化運動を実践するのだといふ観念を、拡めて行かなければならない状態になつて来たと思ふのであります。
従つて今後の文化団体は文化運動といふ点においては、文化団体のみの力で、この運動を進めるといふ形でなく、文化団体は凡ゆる団体乃至組織と協力して、文化運動を進めて行くといふ方向に、飛躍しなければならないと思ひます。
そしてそのために、さういふ活動が最も有力になるためには、どうしても文化部面の職域の整備組織といふことに、重点を措かなければならないのであります。この職域の整備組織といふことは、翼賛会支部がこれに当るのでありますが、さういふ組織は決して翼賛会だけの力でできるものではないのであります。形だけができて魂が入らない組織にならないやうにするためには、一般文化職能人の自治的な力によつて、互に結合するといふ機運が昂められて来なければならんのであります。さういふ機運が昂められ、しかもこの組織のため、最も中心的な力となるのが将来の文化団体であります。
で、文化団体はかういふ風にして文化職能人の一つの一元的な組織でありますから、他の団体――他の翼賛団体――翼賛運動を行ふ団体――この団体との間には緊密な連絡がなければならない。
そして文化運動といふものは文化職能人がこれに対して専門的な智能を提供するものであつて、文化運動そのものの実践は文化職能人の団体と共に各種の団体――例へば翼賛壮年団、青少年団、婦人団体、産業団体、農業団体、産報等の団体と常に協力して、文化運動を進めて行かなければならんのでありまして、これら各種団体の運動といふものは、一面において文化運動の性格を有つてゐるものなのであります。これに対して文化職能人団体――即ち文化連盟はその文化的な専門的な智能を、提供して頂きたいのであります。
これは或る模範村の話でありますが、この模範村は経済更生を目標として、数年来全村の活動が続けられて来たのであります。しかしその経済更生の目的は一応達成して、今や模範村の名によつて喧伝せられてゐる村であります。その村を最近調査しました結果、その村の健康状態が著しく低下した、経済更生の成績を挙げるのに疲労して、その村の健康状態が悪くなつてゐるといふ事実を発見したのであります。これはこの模範村にかぎられてゐる現象かと申しますと、決してさうではないらしいのであります。悉くの模範町村の調査はできてをりませんが、或は多くの模範村が、かういふ現象を呈しておりはしないかと思はれる所があるのであります。
また或る模範村は増産奨励の結果著しく好い成績を挙げてをります。この村はこんどはなんとなく青年の気風が凄惨で、風紀なども従来見られなかつたやうな点が、眼につくやうなことがあるのであります。
かういふ結果はどういふ訳で生ずるかと申しますと、なにもかも経済更生に向つて注意が集められる。全村の注意が悉く経済更生に向けられるため、これが必然的な結果とは思はないのであります。経済更生といふ運動の進め方如何によつては、全村の注意が非常に閑却せられる面ができる、その面がその間に非常に後退するのであります。これはどうしても、その村の経済更生が、もつと綜合的な立場から進められなければならない、これを言ひ換れば経済更生を図る村においては、同時に文化建設といふことが考へられなければならないといふことであります。そしてその文化建設が、即ち経済更生の有力な一つの基礎になるといふことになつて、はじめて模範村の模範村たる、完全なる姿を示すことができると私は思ふのであります。
かういふことを考へましても、文化職能人の如何に今日いろいろな面において、その智能を提供する場面があるかといふことが分ると思ひます。また都市においてもこれに似た例が非常に多いのでありますが、これはいづれまた申上げる機会があると思ひますので略しますが、今日まで「かうしなければならぬ」といふことが解つてはゐる、しかしそれが却々できないといふ処に現代の文化的弱点があるのだと思ひます。誰でも「かうしなければならぬ」とは云ひますけれども、然らば「どうすればできるか」といふことまでは却々考へない。ここに将来の文化団体の工夫と努力が必要でありまして、しかもその工夫努力は必死の工夫努力が必要であります、同時にそれは非常に強力なる組織の力といふものが必要だといふことになるのであります。
また「どうすれば問題が解決するか」といふその方法も亦多くは非常に簡単なのであります。しかもその簡単な方法が、実践に移し得られない処にまた今日の社会機構に、いろいろな矛盾があるのであります。私はさういふものと今或る意味において、闘つて往かなければならんと思ふのであります。
民間の自発的な協力、更に、少し妙な言葉でありますが、「独往的な実践」といふものが文化団体の一つの性格として、どうしても必要だと思ふのであります。この場合に当然各行政官庁、翼賛会、また他の組織との間の関係を充分考慮に入れながら、その決意をもつて進まなければならないと思ふのであります。無用の対立或は摩擦或は力の重複といふやうなことを避けるやうに、充分御考慮願ひたいのであります。
また翼賛会と致しましてもさういふ風にすべて各団体の調整を図ることに、将来努力するつもりであります。さういふ対立とか摩擦とかいふやうなことがありましては、如何なるいい目的をもつた仕事でもその効果があがらないものでありますから、その点は充分御注意願ひたいと思ひます。
私は前から考へてゐるのでありますが、今日日本に必要なことは今まで非常に大事だ大事だと思はれてゐた事柄で実は少しも手がつけられてゐないといふことが非常に多いのであります。これは文化の面においても同様でありまして、誰かがまづそれを始めなければならんと思ひます。しかしその始めたものが自分一人で、或はまた自分達だけでそれができると思ふことは、非常な間違だと思ふのであります。
まづ「始めた」といふことに聊かの満足がありとすれば、それを完成するのは自分達だけの力ではない、非常に多くの協力者を必要とするといふ、謙虚な気持によつて、文化運動を進めることが必要だと思ひます。これからの文化運動の性格は、実に多くの分野との協力によつて、綜合的に進めるといふことによつて、はじめて完成せられるものと考へるのであります。
以上「具体的に」と思ひながらかなり抽象的な話になつてしまひました。しかしこの目標についてはほぼ今日お集りの皆様方には、無論具体的な形でお把み願つたことと存じます。私として申上げることはこれだけであります。
底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「知性 第五巻第三号」
1942(昭和17)年3月1日
初出:「第一回九州地方文化協議会会議録」大政翼賛会組織局文化部
1942(昭和17)年1月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年3月1日作成
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