国人ながら、深く感じとつたからだと思ひます。言葉はむろん一時の洒落にすぎませんが、言ひたいことはよくわかるやうな気がします。
 私は常に、多くの日本家庭に接してみて、最も痛切に思ふことは、主人の言葉に対して、細君が「はい」といふ返事をする、その打てば響くやうな「はい」の、少しも濁りのない声ぐらゐ、主人の心に、また客の胸に、細君の女としての凜々しさを伝へるものはないといふことです。これだけのことで、既にその家風が察せられ、この主婦の「嗜み」が、一家の清らかな秩序を想はせます。まことに、これは、日本の「家」の深々とした重みであります。

[#7字下げ]一八[#「一八」は中見出し]

 さて、これで、青年の「嗜み」とはどういふことか、この「嗜み」によつてはじめて、日本青年としての矜りが保てるといふことまではわかつたと思ひます。
 そこで、もつと具体的に、これらの「嗜み」を身につける方法を知りたいといふ要求が湧いたとしたら、私は、この要求に対して、かう応へたいのであります。
 それは、先づ何よりも、日本青年としての「大きな夢」をもて、といふことです。
 この「夢」さへあれば、日常生活はおのづから希望に満ちたものとなります。一挙手一投足は、自分を高めるか、引下げるかの問題となります。修学、勤労はもとより、教養としての読書、慰安娯楽、休養、人との接触、すべて、目標がはつきりして来ます。
 あらゆる機会に受ける「指導」の効果を、自分で活かす工夫と努力が、またそこから生れて来ます。
 ことに、共通の「夢」をもち、共通の生活環境にある同僚友人との間に、絶えざる切磋琢磨が行はれるといふことは、青年にとつて最も大きな結果をもたらすものです。
 青年の真の矜りは、青年同士の間で、最も高くかゝげられ、しかと保たれなければなりません。青年は、互に、その矜りを認め、これを尊重し、護り合ふべきです。
 一人の青年が、自ら矜りを傷つけるやうな行動に出たとき、それは、あらゆる青年の矜りを傷つけるものとして厳しい無言の叱咤を受けなければなりません。
 青年の「嗜み」は、かゝる雰囲気のなかでのみ、健全に、青年のものとなるでありませう。



底本:「岸田國士全集26」岩波書店
   1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
初出:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
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