の憂欝は、もはや、一刀両断の処置しかありませんが、恋愛をして病にまで昂じさせない予防薬は、恐らく青年としての「矜り」と「嗜み」でありませう。
 淡い憂欝の色が、その誇らかな容姿を透して、ふと、青年男女に、一種重厚な感じを与へてゐる例が間々あります。沈痛な面持ちとでも云ふべきものです。
 その憂欝の来るところを知る由もないのですが、或は、真面目な恋愛をしてゐるのではないかと、ふと気を廻してみたくもなります。
 しかし、間違ひのないことは、かういふ青年男女が、おほかたは、数々の美しい夢に胸をふくらませてゐるといふことです。
「夢」の美しさは、決して楽天主義の明一色ではありません。幾多の苦難を苦難として迎へようとする殉教者の覚悟と、理想の高きを攀ぢ、秘境の深きを探る開拓者の根気との燻《いぶ》し銀を交へた、明暗多彩な刺繍図であります。濁りなき青年の瞳が、一つ時曇つたとみえるほどの「憂欝」の影は、却つて、明鏡の物をよく映すに似て頼もしく、その銀色の「憂欝」こそ、白煙となつて立ち昇れば、破邪顕正の剣を呑んで、現実の醜敵と刺し違へる雄々しい憤りとなるでありませう。

 とは云へ、これも出来ることなら、「憂欝」の色などは、あまり仰々しく顔に出さぬがよろしいと思ひます。これまたひとつの「嗜み」であります。
 時にかういふ注意を附け加へたいと思ふわけは、前に挙げたやうな例を除いて、いつたいに青年の表情が暗く、活気に乏しいといふ印象を受けるからです。何が不平なのかと訊ねたいやうな「膨れ面」にも屡々出会ひます。これは青年に限りませんけれども、青年であるがためにひときは目立つのです。
 これも「憂欝」の一表情に違ひありませんが、それはもう、如何なる「夢」とも縁のない、いはゞ散文的な憂欝の一つで、むしろ、単に、不機嫌と云ふ方が当つてゐるでせう。常に小さなことに不平不満を抱き、或は泣寝入りをするか、小言を言ひくたびれするかして、なんとなく自信を失ひ、たゞ、欝積した不平不満が凝り固つておのづからの「仏頂面」を作りあげたといふ類ひの顔は、近頃そんなに珍しくないと私は思ひます。

「青年を示せ、汝の国の運命をわれ占はん」と云つた哲人がゐます。
「青年をしてその夢を語らしめよ。われその青年の前途を卜せん」と、私は、僭越ながら云ひきることができます。
 が、それよりも、こゝで私が「青年の夢と憂欝」といふ一項を設けた所以は、青年の多くが描く「夢」の美しさ、逞しさは、そのまゝ、一国の文化の高さ、健やかさを示すものだと信じたからです。
 そして、その「夢」はまた、たとへ如何に美しく、逞しくあらうとも、常に微笑みをうかべるものではないといふことをはつきりさせておかなければなりません。「憂欝」を持ち出した理由です。この紛はしい「憂欝」の正体を青年はしかとつかんで、徒らに道に踏み迷はないやう、聊か老婆心をさし加へたつもりであります。



底本:「岸田國士全集26」岩波書店
   1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
初出:「力としての文化――若き人々へ」河出書房
   1943(昭和18)年6月20日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年5月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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