一色ではありません。苦難と歓喜を交へた戦ひの夢、戦ひに傷つき傷つき、しかも幾度か起ちあがつて遂に凱歌を奏する夢であります。従つて、真の新しい青年の典型は、ゆかしく凜々しい日本的典型の上に、若さのもつ健康と職分の嗜みとを加へ、日本青年としての雄大な気宇を自然に備へながら、男子は男子らしく剛毅に、女子は女子らしく柔軟に、それぞれ清純な風格をもつて人をして畏れ懐かしめるものでありたい。言葉をもつて典型を描くことは抽象の域を脱しないからこれくらゐにしておきますけれども、更に、私の望むところは、単に、男女青年がそれぞれ同性の典型を頭に浮べるだけでなく、同時に、異性の素晴しい典型をおのおの想ひ描くことによつて、健やかな一つの夢を抱いてほしいことであります。
これは現在の青年にとつてまことに重要なことでありますが、結果として、いづれは、男女青年互に、それぞれの典型を、協力して創りあげることになるでせう。典型の完成であります。夢が典型を生み育てるといふ意味は、たしかに、かういふところにもあるのです。
しかし、これは急ぐには及びません。日本の青年は、今や、夢と現実との交錯とも云ふべき大戦争によつて完全な試煉を受けつゝあります。男子青年の描かざるを得ぬ巨大な夢は、千里の海を越えた戦場に散る潔きつはものの誉であり、女子青年にあつては、やがて「おほみたから」を儲くる日の尊きおのが命《いのち》でありませう。
「兵士」と「母」、この二つの名は、そのまゝ、現代日本に稀な典型を創造した、またとなく厳粛にして清らかな名であります。
[#7字下げ]五[#「五」は中見出し]
青年は「夢」に生きると云ひますが、それと同時に、青年は、屡々「憂欝」の囚となるものであります。いはゆる明朗闊達な青年と雖も、実はその例に漏れないのです。
この「憂欝」の原因は、一つには、俗に「春の目覚め」と称する生理的変調にあるのですが、一つには、青年の「夢」そのものと密接な関係があるのであります。
生理的理由から来る「憂欝」は、医学の立場からすれば、一種の気分転換によりこれを克服すべきだと云ふのであります。即ち、勉強とか運動とかに専心すること、宗教や芸術に没頭することなどが、具体的に示されてゐます。時に、身体を規則的な操作によつて疲労に導くことが最も効果的であると云はれてゐます。
その方面のことは、一応専門家に委
前へ
次へ
全20ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング