ありません。なぜなら、昭和の聖代に於ける国民一人々々の「志」は、或は臣道の実践と云ひ、或は職域奉公と云はれるもののうちで十分にそれが遂げられるばかりでなく、そこには、嘗ての時代に見られなかつた、青年への限りない期待がかけられてゐるからです。
戦線に立つて弾雨を浴びるものの大部分は青年であり、生産の場で全身汗となつて働くものの多くは青年であるといふ事実は云ふまでもありません。私たちは、大東亜の建設を目指す長期の国家活動が、今日の青年の手に俟たなければならぬと信じるがゆゑに、その青年の現実のすがたが、すべて、その任にふさはしく、大国民たるの力と品位とを示すものであることを希ふのであります。
こゝに、新しい日本青年の理想の型が生れて来なければなりません。
理想の型とは、いはゆる「典型」であります。かくあるべき最上のすがたであります。男子には男子の、女子には女子の典型が考へられる。しかも、それは根本に於て全日本青年に共通なものを含みながら、なほかつ、それぞれの個性を生かし、職能の特色を発揮し、年齢の段階をはつきり示したものであります。
今日まで、およそ軍人を除いては、社会一般に、この典型なるものを閑却してゐました。それがために、「類型」がはびこつた。「類型」とは一見それとわかる月並な型をいふのであります。役人の型とか教師の型とか、或は商人の型とかいふのがそれです。職業が知らず識らず風貌と言動の上に与へる習性、または固癖のやうなものであつて、それは常に一種の臭味を伴ひ、多くは反感と侮蔑の種を蒔きます。
「類型」は好まずしてそれに陥るものでありますが、「典型」は見事な訓練によつて創造するものです。
昔は今に比べて、各階級ともに、典型を重んずる風があり、武士はもとより、町人ですら、一つの典型をもつてゐました。典型はまづ家庭教育の指標であり、社会に於ける人物批判の尺度でありました。かの「躾け」は、典型に準拠した子女錬成の手段に外ならず、「嗜み」とは、これまた、それぞれの立場で、典型に合致しようとする努力の結果と見るべきであります。
典型が生れるところには、必ず「矜《ほこ》り」がなければなりません。ある種の社会的階級が、嘗ては矜りを無視した時代もありました。さういふ階級や、その階級に属する職業に典型がなかつたのは当然であります。しかし、今日は、何れの階級、何れの職業にも、
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