をなすものを捉へることの方が、より急務であり、少くともより重大な意義をもつ事実なのである。
映画は、実にかういふ目的のためには誂へ向きの形式を具へてゐるのみならず、今日の実情から考へても、観衆の大多数は、意識するとしないとに拘はらず、映画に求めるものは映画そのものよりも寧ろ、映画に含まれ得る一切の「美しいもの」、「真実なもの」なのである。
これは少しも映画技術家を軽視することにはならないと思ふ。反対に、映画のかかる文化的使命を自覚し利用し得る一切の材料を駆使し、生活と芸術との微妙な切線を歩むことこそ、映画技術家の選ばれた才能なのである。
そこで、僕は、西洋映画の魅力を分析するに当つて、先づ以上の前置を掲げた次第であるが、問題の解決は常に根本を衝く必要がある以上、議論は少し抽象に亘る嫌ひはあつても、一応次に述べる事実について読者諸君の注意を喚起したいと思ふ。
映画に限らず、西洋そのものにわれわれはまだ非常に興味をもつてゐること。つまり映画による西洋見物、西洋研究、西洋人の生活を生活する興味、等々の混り合つた魅力。これは必ずしも西洋崇拝の気持とは一致しないが、只単に異国情調の満
前へ
次へ
全5ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岸田 国士 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング